- 現世的業務と≪他の場所≫
- 僕が自己紹介すると、多くの人が「じつは宮台真司読んでるんですが・・・」と言いにくそうに打ち明けてくれた。「ふうん」とやり過ごしてしまったが、僕はテストされていたのかもしれない。『この世からきれいに消えたい。』ISBN:402264317X を眺めつつそう思った。
- 自分の中に抱え込んでしまったヤバイ現実。それだけを追求していても辛くなるばかりなので、僕は「具体案」を考えたいのだが。
- 他者の創った作品と理論に救われる(理論も作品だ)。
- 自分の中の現実に従事できない人間は外側から与えられる現実に従事せねばならないということか。
- 思い入れのないところにクオリティの高い仕事を追及する姿勢は生まれない。外側から与えられる要請にバラバラに引き裂かれる前に、思い詰めた作品創造が始まればいいのだが。
- 斎藤環氏より新著『ひきこもり文化論』ISBN:4314009543 いただく(ありがとうございます)。
- 「欲望とは決済したい欲望なのだ」
- 「抽象に関わって具体を貧しくする」という言葉を思い出す。素材レベルに生で関われない僕は、つねにすでに空疎な形而上学者のように生きている。
- 言葉は僕にとって、過剰に現実すぎるか過剰に作り物すぎるか、どちらかのような気がする。細かい描写を追うことは退屈なばかりでなく恐ろしくもある。(音楽にも同じことを感じている)
- どんな作品を作ろうとするのか。そこに「残された時間」のすべてがある。生きることにミッションがあるとしたらそこにしかない。
- 「使われる」だけの労働から、「自分で引き絞る」労働へ。その原動力が≪他の場所≫か。
- 勉強なしにアクセスはない。しかし環境と才能なしにはアクセスへの予感がない。
- アクセスのネタを提供することに尽きるのかもしれない。作品創造も、支援も。