≪ひきこもりは「病気」か「葛藤」か?≫

 昨日このタイトルで日記をアップした直後に大手サイトいくつかからリンクを貼っていただき、ヒット数が一日で2000を越えた。地雷を踏んでしまったらしい。
 僕としてはもちろん「ひきこもり」を全体としてどちらかに分類して見せたのではなくて、問題の焦点を指摘しただけ。斎藤環氏の「社会的ひきこもり」の定義*1はおくとして、家に閉じこもっている人で「病気の人もいれば葛藤の人もいる」のは当り前だし、そもそも苦痛なしに家にいる人もいる。ただ、社会の多くの人々が「ひきこもり」をどう見るか、というのは大事な点で、僕が示したのはいわばケンカの焦点だ。
 誤解のないように言っておくと、僕は「閉じこもっていられるなら閉じこもっていればいい」という立場。僕だってこの夏は何もできずにいたし、今も「ひきこもりを抜けました」と言い切るつもりはない。仕事がなくなろうが金がなくなろうが誰が騒ごうが自分は引きこもってこのまま死ぬのだ、と決意している人に口を挟めるのは、直接の出資者だけだと思う。

*1:彼ははっきり「病名ではなく状態像」と言っている。