メッセージの文脈

以下は、やはり id:Ririka さんの、

(「ひきこもりにとって性愛は大事だ」という主張を含む*1この対談は、なにを目的としてるんだろう。 誰に聞かせたいんだろう。

という疑問に、僕の言える範囲で答える試み。


「性の問題はひきこもりにとって大事だ」という主張は僕も自著の中でしていて(p.151-)、それを斎藤環さんに評価していただいたのですが*2、なぜ評価されたかというと、それまで*3「性」の話は、大方のひきこもり支援業界では≪タブー≫だったからです。
僕が最初に公に「ひきこもり」関連の集まりに参加させていただいたのは2000年の6月でしたが、それは50〜60代の親世代の運営する「親の会」*4で、20〜30代の息子・娘の自立問題を話し合うのに、どうしても話を「就職」「生活自立」に限定しがち。 「私たちの子供たちをどうするか」という切迫した空気がいつもあった。
その状況では、「子供の自立問題を考える」ときに「性の話を持ち出す」のは、はっきりした立場表明にあたるわけです。 僕もある親の会で、「≪子供の自立≫は、子供さんが自分の性生活を持つということだとイメージしてください」と発言したんですが、本当に勇気が要った。


ひきこもったまま年を重ねる人はメンタリティが「閉じこもった頃」で止まっていることが多い。 僕は最近まで自覚年齢が15〜6歳だったので、大学生の男女を見るとどうしても年上に見えてしまって苦しんだのですが(今でも恋愛中のカップルを見ると混乱します)、ひきこもりの世界では「肉体年齢は38歳だが、精神年齢は18歳」ということが普通に起きてしまう。 つまりメンタリティとしては引きこもりは「思春期問題の延長」と語られることが多く、「思春期に抱える重大な葛藤」の一つとして、「進路問題」とならび、「性愛問題」をクローズアップする、という文脈がある。


親は自分の子供の性愛問題は語りたがりません(「ひきこもりの子供を抱える家は性愛価値観が保守的なことが多い」という言い方はここでは避けます)。 ところが、引きこもっているご本人(特に男性)は、ほぼ間違いなく極めて深刻な「性愛危機」を抱えていて、この間にものすごいギャップがあった。 僕は最初(今でも部分的にはそうですが)、「当事者の心情を代弁してくれ」という「翻訳者」の役割を期待されたので(つまり当事者たちは親に対しては自分の本心を何も喋らないので)、「性的挫折感は本当に深刻な苦痛です」というのは、どうしても必要なメッセージだった。


リリカさんの苦言は、「性愛が大事だと言っても、挫折するしかない人たちを絶望させるだけ」という意味だと思うが、恋愛至上主義みたいな一般的風潮には僕もウンザリしているとして、しかし「性愛なんか重要ではないから、話題として無視しておけばいい」とは、やっぱり言えないのでは…。
繰り返しになるが、僕に「女友達がいる」というだけで当事者からものすごく嫉妬されることがあったし(それは僕にもじゅうぶん想像できる心の動き)、目の前で女性と楽しげに会話しているだけでものすごい目で睨まれたこともある。 横浜のシンポジウムでパネラーだった女性当事者(経験者)が僕を「仲良しです」と形容したら、僕が2次会で男性から首を絞められた(かなりマジで)。 → 「あいつもヒキのくせに、なんで女と仲良くしてるんだ?」という殺意(みたいな強烈な感情)をあまりに繰り返し向けられるので、仮に今の僕にとって「性愛的受容」の問題地位が変化しているとしても(自分でもよく分からないがそれはあり得る)、「引きこもりというテーマにとってこの話題はどうでもいい」とは、どうしても思えない。 あまりに多くの人にとってトラウマ的な話題になっている。


ちなみに、「恋愛やセックスなんてしてないでスポーツしろ、スポーツ」とか、「とにかく他にやりたいこと見つけろ」みたいな勧めは、僕も年配男性から直接聞かされたことがあるし、先日拝見した小谷野敦氏の論考「昭和恋愛思想史 最終回 自由恋愛の中の不自由」*5には、リリカさんと似た危惧が書かれている。

 だが、そのような恋人を作ることさえできない者たちがいるという事実には、ほとんどの人が見てみぬふりをしていた。 (p.229) (中略)
 理想と現実の間に大きな間隙が生まれたわけで、ただその理想は、セックスを経験するということよりも、せめて「恋人」と呼べるものを大学生くらいの年齢で持っていたい、いるのが普通だ、という強迫になったのである。 (p.231)

単純な話、世の中の価値観によって「性愛的拒絶の苦しさ」も変わってくるということか…。




というわけで、「性愛は大事だ」というメッセージには、ひきこもりに関連して様々な戦略が込められ得るのではないか、というのが、今の僕の理解です。





*1:上山による注記

*2:たとえば『博士の奇妙な思春期』ISBN:4535561974、p.187

*3:僕の本の出版は2001年暮れ

*4:ひきこもり状態にある子供を抱えるご家族が定期的に例会を開き、お互いの事情を話し合うことで「ウチだけではないんだ」と安堵したり、お互いに相談しあったり、勉強会を開いたり。 大阪での例会に九州から来られるかたもあった(当時九州にはそういう集まりがなかった)。 余談だが、大阪はおそらく日本でいちばん自然発生的な「親の会」活動が活発だった(2000〜2001年当時で五団体も六団体もあり、その時点で既に「発足5年以上」という会も)。 団体のカラーも様々。

*5:雑誌『文学界』2004年7月号、p.228-