「求められる支援」とは

3月27日のイベントのあと、複数の当事者の方が言っていたのは、次のようなことでした。

 支援者の方々には申し訳ないが、実をいうと「受けたい」と思うような支援はない。支援を受けたいのかどうかさえわからない。

これ、実は僕もそうです。僕は1987年の4月から夏にかけて、関西のさる支援団体*1に籍を置きましたが、それ以後は(ずっと苦しみ続けたにもかかわらず)どこの団体にも相談機関にもアクセスしていません。
もちろん、「ひきこもり」が社会的にクローズアップされたのは1990年代も終盤で、僕は2000年にはもうある親の会に出席して発言を試みるようになっていましたから、自分が支援を必要としていた時代にはそもそもアクセスすべき窓口がほとんど存在しなかった*2、という事情もあります。しかし、それだけでしょうか。僕は、もう少し本質的な問題だと思っています。


支援といっても、精神科医・行政・民間団体・個人など、それぞれでできることも得意分野もちがう。
さて、そこで当事者の皆さんにうかがいたいのです。

「どんな支援なら、受けてみたいですか?」

ご両親の求める支援と、当事者本人の求めるそれとは、また違っていると思います。
支援活動のユーザー(消費者)として、「ニーズを明らかにする」作業は、大事なんじゃないでしょうか。「とにかく支援してくれ」ではなく、こちらから提案していくことも必要だと思います。


あなたは、どんな支援を求めているか。どんな活動を、いちばん必要としているか。――この点についてのご投稿やご発言を、今後ずっとお待ちしております。
・・・・いや、そもそも「支援」なんて、必要なんでしょうか。





*1:当時は「ひきこもり」という概念はまだなく、支援といっても「高校中退者」を対象としていました。

*2:厚生労働省による最初のガイドライン発表は2001年。