2003-10-19から1日間の記事一覧

文字の大きさ

当日記のコメント欄の議論を熟読なさりたい方は、ぜひブラウザの「Text Size」をいじって、画面の文字を大きくしてください。非常に見やすくなります。

「人間的」

http://d.hatena.ne.jp/Ririka/comment?date=20031017#c のRirika氏の発言より。 東浩紀氏はヒキコモリを「人間的」とある意味好意的に(?)表現してくださったのだが、ひょっとするとこの理解にさえ問題があるのかもしれない。ひとまずはこちらの予断抜き…

「工学的必然性」vs「論争的参加」

私は空想物語に参入することにおいてではなく、他者たちとの論争的・対話的関係において社会に参加する。 ・・・・私が「フィクション親和性が低い」のは、フィクション読解においては、私の側の責任を持ち込んだ「論争的参加」がそこでは不可能だからではな…

私たちに「存在意義」をもたらす「物語」

上記の中塚氏の論文に関連して、精神科医らしい人の日記から。 未熟な自己愛を持ち、自己愛の傷つきに耐性のない彼らは、万能的自己像が傷つくのをおそれて他人からひきこもります。でも、彼らはやはり「なかま」を、他者との関わりを求めているわけです。 …

「借りを返す」奇跡

昨日のコメント欄で、id:CharlieGordon、id:hikilink、debune、の三氏によって、「恩返しする」「借りを返す」という興味深い発想がもたらされた。俎上にのぼっている中塚尚子氏の論文「『借り』を返したい」(『ひきこもる思春期』ISBN:4791104757)を読ん…

私をテキに対峙させる単語

何人かの支援者・当事者・ご家族から、「ひきこもり」という単語はあまりにネガティヴで印象が悪いから、使いたくない、使ってほしくない、という声を聞いた。「ヒキコモリという単語は、必要以上に当事者を型にはめ、押さえつける有害な概念だ」。 この言い…

嗤えない日本のヒキコモリ

北田暁大氏の「嗤う日本のナショナリズム」(『世界』11月号)を立ち読みした。そこから考えたこと。 北田氏の指摘する「裏リテラシー」とそこから発生する「繋がりの王国」は、ともに「ひきこもり当事者」にとってはまさに鬼門となっている現象ではないだろ…

「語られる」存在から「語る」存在へ

これまでのところ、引きこもりは、外的な視点から「語られる」だけの存在だった。仮に当事者が「語る」ことを許された時であっても、それは「私、苦しいんです」というような素朴な真情吐露が許されるだけであり、外的観察視点が我が物としているであろうよ…

斎藤環氏

ここまでの議論で、私は何度か斎藤環氏を支持する発言をしてきた。しかし、いくつかの発言は内容的に勇み足だった。私は医師ではないし、氏のなかで(私の知らない)精神医学や精神分析の議論がどう「ひきこもり」と関わっているか、よくわからないと言うべ…

「工学的必然性」vs「論争的参加」

18日、淡路プラッツにてミーティング。帰途三ノ宮ジュンク堂ダイエー店に立ち寄る。1冊購入。