「やらなければいけないことは、手の届かないところにある」と自分が感じていること

衆議院 厚生労働委員会 参考人説明より
児玉龍彦*1

    • 【7月31日夜の追記】: 下の動画は、「YouTube利用規約に違反したため削除された」とのこと。 同じ動画は、「衆議院TV 2011年7月27日(水)」にある、「説明・質疑者等(発言順):」⇒児玉龍彦(10時00分)」の箇所をクリックすると、動画ソフトの選択画面が現れて、手順に従えば視聴できます。



全体を2回視聴し、文字起こしも精読しました。
根拠をもつ政治的な怒りが、これほど感動的とは。
わめき散らすだけなら、心を動かされなかったと思います。


――ではひるがえって、自分の領域では、どうすればいいのか。
「このままじゃまずい」の怒りはあっても、それが単純に「科学」を口実にできない場合は*2



追記(2011-07-31)

  • 政治的整備が必要である以上、理論的理解は必要な条件整備のごく一部でしかない。しかも方法論それ自体が安定的な地位を持たないとしたら*3
  • 理論的に分からないだけでなく、「これに関して理論的であるとはどういうことか」自体が整備されていない。そして、理論的に理解するとは確信を掴むことだとすれば、それは掴む側にとっての危険でもある。




*1:東京大学先端科学技術研究センター教授、アイソトープ総合センター長。 著書

*2:精神病理学的な問題意識は、いわば「人文的」であるため、単純に科学に還元できません。しかし「科学でない」といえば、ふつうはニューサイエンスや詩的惑溺など、独りよがりの話にしかなりません。

*3:カオス理論は予測できない(解が得られない)現象を扱うが、カオス理論自体は方法論として明晰。ところが、制度分析や分裂分析においては、分析の方法論自体が「予測できない」ように見える。どう分析しなければならないか、までが予測できないとしたら。