いろんな意味で刺激的であり、すべて拝見した。
http://www.ustream.tv/recorded/13116411
http://www.ustream.tv/recorded/13120051
http://www.ustream.tv/recorded/13123376
http://www.ustream.tv/recorded/13125164
- ウリ/グァタリの制度論を経由して聞く「構造-機能分析」の顛末。 【参照PDF】
-
- 考える方針それ自体が、主観性や集団のあり方を強く規定する。 ある理論事業は、「理論的に考えるとはどういうことか」をめぐる態度決定の終わったあとの試行錯誤になっている。
- 「最良の行政官僚は最悪の政治家である」(マックス・ヴェーバー)
-
- ≪近代社会における最大の対立は、既存のプラットフォームの中で最適化を目指す行政官僚と、いざとなったらプラットフォームを取り替えなければいけない政治家の間に存在する≫*2――集団ばかりでなく、各人の主観性それ自体が官僚化している。 おのれの主観性を組み替えることが、考えられもしない。
-
- 制度分析/分裂分析は、まさに官僚的あり方と政治家的あり方の緊張として成立する。 「制度内の最適化を目指すべきなのか、制度それ自体の組み替えや遺棄(移住)を考えるべきなのか」。 その意思決定はどのような手続きで?
-
- 「主観性の生産」というグァタリのモチーフ。
-
- 廣瀬浩司『後期フーコー 権力から主体へ』より:
物理学や化学などの現代科学は、物質と法則という二つの同一性を追求してきたのだ、と言ってよい。この二つの同一性は不変で普遍であり、ここからは時間がすっぽり抜けている。別言すれば、現代科学は理論から時間を捨象する努力を傾けてきたのである。(池田清彦『生命の形式―同一性と時間 (哲学文庫―叢書=生命の哲学)』p.9)*4
-
- 「パラサイト・シングル」など、恣意的規範性を含むタイトルで自分の業績だけを確保し、実態を抑圧して恥じない社会学者に、エートスを論じられることへの怒り。
「小室直樹博士記念シンポジウム」(世界文明センター)
- 日程 2011年3月6日(日)
- 時間 10時00分〜17時30分
- 会場 東京工業大学大岡山キャンパス講堂
<第1部 小室博士の学問世界>――10:00〜13:20
- 報告者
*1:≪この時期、パーソンズには実兄(1940年)、両親(1943,44年)と近親者が相次いで死去するなど身辺上の出来事がいろいろと起こっている。そしてパーソンズ自身「この寄り道が突然起こった一要因」として医師である義父の死(1938年)をあげているのである。こうした諸事実は、パーソンズの「社会システム論の誕生」が、パーソンズ自身の〈病〉に対するひとつの「快方」(−〈予後〉)であった可能性を暗示させてしまう。≫(周藤真也)
*2:富永健一『行為と社会システムの理論―構造‐機能‐変動理論をめざして』p.219: ≪システムがもとの構造に戻ることによっては均衡(システムの機能的要件が充足されている状態)を達成することができない場合、システムは新しい均衡を求めて構造変動の旅にさまよい出なければならず、そして新しい均衡は、さまざまな試行錯誤を経たのちに、より高次の機能的要件充足能力を実現するような構造が見出されたとき、もとの構造からその新しい構造に移行することによって成立する≫(参照PDF)。 ここにいう「構造変動の旅」は、受動性と能動性の絡まり合いであり、直接にはウリ、グァタリ、メルロ=ポンティらの言う意味での《制度》を、チャレンジの場所としている。 主観性と集団は、切り離すことができない。
*3:人間を名詞形にカテゴリー化する参与観察は、それ自体が耐え難く官僚的だ。 cf.≪社会学者の調査は、「フリーターについて」など、やる前からカテゴリーを決めてレッテルを貼っている≫(文化系トークラジオLife, 2009年8月16日「「Life政策審議会」Part7(外伝1)」、樋口明彦氏の発言より)
*4:『増補 民族という虚構 (ちくま学芸文庫)』p.307 からの孫引き
*5:弁護士資格の取得に日本では300万円かかるが、香港では2〜30万円ほどとのこと(山田昌弘)。 日本の制度に嫌気がさした女性が向こうで弁護士資格を取ったケースの紹介。 日本では、ちょっとした資格を取るにもすぐに数十万円かかり、しかもそれが必ずしも就労に結びつかない。