主体性論争 メモ

私たちの主観性そのものが、集団的傾向をもった生産過程であり生産物であり、そこでどうアレンジするかを考えなければならない*1、というガタリらの議論を考えていて、日本の主体性論争や党派性論争*2が気になった。


《歴史については、科学としての史的唯物論で客観性に到達するほかなく、そこでは認識者の出身階級が影響する(間違った認識を口にするということは、そういう認識をもたらす階級的現実を生きているのだ、このプチブルめ!)》――そういう正統派に対し、《生きている一人ひとりの荒廃した実存をどうすれば良いのか》が問われた60年前のいきさつ。


現在の言説が陥っている、「メタ言説vs当事者発言」という不毛な構図について、屋台骨が透けて見えた感じがあった*3

    • 当時の「歴史必然を認識する史的唯物論」の代わりに、今はメタ言説という嗜癖対象がある。社会や歴史の全体性を僭称する人たちは、主観性を話題にすることをバカにするが、実は全体性を標榜した語りそれ自体が、実存の吸収装置になっているにすぎない。
    • 「当事者にしか分からない現実がある」とする “当事者発言” は、「プロレタリアだけが真理を認識できる」という客観性の僭称と、実存的情念の合わせ技みたいなところがある。
    • 社会問題をそれとして内在的に考察するのではなく、論じるおのれの業績や実存が優先されてしまう論者がいる。 「その問題は、あなたの人生を成功させるために存在しているんじゃありませんよ」*4





【引用】: 講座・日本社会思想史〈第5〉戦後日本の思想対立 (1970年)』掲載の「主体性論争の系譜」(pp.21-99)より:

執筆は山崎昌夫氏。 強調は全て引用者。

 主体性論争の発端をなす問題の提起は、1946年1月に創刊された文芸誌『近代文学』の同人たちによって行なわれた。同人は、山室静(当時40歳・最年長)、荒正人平野謙本多秋五佐々木基一埴谷雄高小田切秀雄(当時30歳・最年少)の7人で、 (pp.25-6)


 本多秋五は、ながい低迷と彷徨から脱出できた人間にとって、文学・芸術はいかなる責務を持つかを自問し、「芸術・歴史・人間」*5を書いた。 本多によれば、まず芸術は、芸術家の “魂の諸要求” を完全に満足させるものでなければならず、“魂の諸要求” とは、私=個人の内部から噴出する情熱にほかならない。(p.27)


 現実を肉眼で直視する姿勢の基底に主体性をおく小田切〔秀雄〕の、このような理論は、旧プロレタリア文学系の硬化した “正統” マルクス主義のがわから終始何らかの掣肘(せいちゅう)を受けた。 たとえば『新日本文学』1946年10月号では、岩上順一、滝崎安之助、菊池章一、ぬやま・ひろしらが論陣をはり、外部的現実の再現には実感は不可欠の要素であるが、実感それ自体は、革命的世界観からみちびきだされた社会的実践と現実認識を母胎とするものでなければならない、とする客観主義的・公式的な批判の矢おもてに立たされた。(p.36)


 「戦後に建設されるべきあたらしい社会と人間の構想を直接間接に労働者階級を主力とする社会主義革命の方向とむすびつけ、マルクス主義をその指導原理として承認しながらも、世界観としてのマルクス主義と自分自身との内面的なつながりをあらためて検討する必要を痛感していた人びと*6によって推し進められたのが「主体性論」であった。 (p.51)


 弁証法唯物論実存主義的主体性論は、荒廃した自我をいかにして蘇生・回復するか、という痛切な問いつめの結果、けっきょくそれは社会変革を通じてのみ可能である、という共通の問題領域に到達した。 それはある意味では、戦前からの唯物論に欠落した主体性の問題の充実を、実存主義的な自我の掌握によって補完するかどうか、の問いとして、“正系” マルクス主義者もつき当たらざるを得なかった。 梅本〔克己〕ら、唯物史観のうちに実存探求の場をもとめた人びとも、ただ単に、ひき裂かれ孤立化した自我を復権させることだけをめざしたのではなく、喪失された自我を、社会的主体性、つまり党派性や階級性を手がかりとして救出しようとくわだてたのである。 そこでは群衆としての社会意識に埋没することは極度に警戒される。 (pp.54-5)


〔松村一人によれば、〕梅本のいうマルクス主義の「空隙」補填は一種の身振りにすぎず、実はマルクス主義的主体性(=労働者階級という主体の階級的利害という主体性)を他の主体性によって入れかえている。 つまり階級的利害と階級的意志を客観のがわへおしやり、マルクス主義から真の主体性をぬき去って、その上でさらに他の主体性を求める。(略) 梅本のいう主体性の正体は、労働者階級にひかれながらも深く連帯することのできないプチブルジョア・インテリゲンチアの立場である。 (略)
 松村の梅本批判は総じて、当時訳出され、日本共産党の “公認” 哲学とされた、スターリンの著作『弁証法唯物論史的唯物論』などを導きの糸として行なわれた。 松村に限らず、“正統” マルクス主義者のがわからする主体性論批判は、多かれ少なかれ、こうした “権威” を既定の真理とみなして疑わない哲学的立場に立脚している。 (pp.64-6)


 存在が意識を決定する、というばあいの存在は社会存在であって自然科学的物質ではない。だがそれだけでは意識の能動性は出てこない。この意識自体、物質の高度のはたらきであることにより人間の主体性は確保される。人間において、物質ははじめて自己を対象的にとらえ、この物質の自己超越は何にもまして、唯物論の主体的性格、その根源的な人間主張を示す。実存哲学でいう自由も、この自己の対象的把握、その可能的根拠のなかにある。
 人間が物質から生まれたこと、物質の自己展開を主体的に、だが機械的・直線的にとらえたところにスピノザ唯物論が生まれた。それは自己運動の原理を神秘化し、汎神論を生んだ。このスピノザ的主体性の弁証法唯物論への止揚こそ、主体性論の重要な課題であり弁証法的物質の自己運動のなかに自己をはめこませることにほかならない。 (pp.70-71)

    • これは1948年公表の梅本克己の論考*7を解説した部分だが、「論じている自分が対象の一部として渦中にある」ところまでは来つつ、「客観的認識」が命綱として残っている感じがあって、非常に苦しい。
    • とはいっても、手綱を手放したうえで分節過程それ自体に一体化してしまう制度分析や分裂分析では、集団的合意形成はどうすればいいだろう。 ドゥルーズ的な肯定は、孤立して読んでいるぶんにはいいだろうが、意思決定はどうするのか。


 ブルジョア社会にあっては、労働者は意識的、無意識的にブルジョア思想に浸蝕されている。つまりその主体性をブルジョア思想に埋没させている。それを覚まさせるため革命理論が必要になる。資本主義社会の機構と、そのなかでの労働者の社会的位置、歴史的役割を徹底的に知らせて主体性を目覚めさせることは緊急課題であるが、それだけではたして階級的全体性に自己のすべてを捧げることができるかどうか、それが中心課題である。それらのことは労働者階級の道徳の問題に帰着する。 (p.73)


 実感の揚棄としての実存、実存の揚棄としての実践において、しかも歴史的・社会的・党派的実践においてのみ主体性は把握される。党派性とは、実存的・主体的弁証法の「あれかこれか」を、さらに歴史的・社会的に徹底したものであり、これを真理の客観性との矛盾と統一においてつかもうとするところに、唯物論で考えられる主体性の核心がある。階級的党派性の見地に立った主体性把握によって、はじめて唯物論の実体性という概念は具体的な内容をもつ。 (p.76)


 このような歯車の噛み合わない論争の外に身を置いて、主体性論にたいしてはその主観的非科学性を指摘し、唯物史観にたいしてはその公式的動脈硬化症を非難したのが、清水幾多郎、宮城音弥らである。 そこでは主体性そのものを科学的に対象化することの必要が共通したテーマになった。 (略)
 清水は、集団と個人の自発性の関係をとらえ、「人間の集団への埋没、人間と集団との相即および融合は、その実体的基礎を集団の自給自足性のうちにもっている」といい、個人は社会的環境がもたらす形式を採用することによって自己を生かす、という。 社会的形式は権威的様式として人間を迎え、人間の知識や行為を、一義的・決定的なものとして封鎖し、孤立化させる。 (略)
 現状では主体性の要求は、社会理論を実体的権威としてとりあつかい、人間の問題を非合理性へ追い込むことの固定化による調停を意味している。 (pp.80-82)


 高桑〔純夫〕は、清水がいう主体性は「孤立的自己における主体性」と「社会理論における主体性」とを混同しており、こと後者について清水説は適用できない、としている。高桑によれば「社会理論における主体性」は、自然的欲求にたいする誠実さを要求する主体性ではなく、かえっていかにすれば社会理論を自己の問題とすることができるか、理論が求める実践をいかにすれば「私」の実践として実践できるか、この意味で要求される主体性なのである。 (p.82)


 論争自体が反省の対象とされるこのような段階に来て、高桑は、主体性論争は “着工されたまま雨ざらしになっている工事場” を連想させる、と評している。 (p.94)




*1:自覚的にそうする前にすでに私たちは一定の傾向を反復している

*2:戦後すぐから1950年頃までと、60年代にも再燃

*3:64年前、最初の問題提起を行なったのは30歳代の人たちで、これも昨今の「若い論者たち」に重なる。

*4:自分の業績のために調査対象者を使い捨てにする研究者。 全共闘時代の社会批判を、ひきこもりをネタにもう一度やりなおそうとする年配者。 「私、当事者なんです」というカミングアウトが、おのれのアイデンティティ確保のためでしかない人――など。

*5:近代文学』1946年1月創刊号

*6:竹内良知「日本のマルクス主義」、『現代日本思想大系〈第21〉マルキシズム (1965年)』解説、54ページ

*7:弁証法的物質とその自覚の論理」(『理論』1948年10月号)。 梅本は当時36歳。

*8:『哲学』第九号(思索社、1948年12月)

*9:『主体性論争』(白揚社、1948年10月)