ソーカル問題 memo ――主体化と関係性の方針
私たちの経験は、主体/主権であることの新しいスタイルを、秘かに要求している(いまだ言語化されていないにしても)。 ところが私たちの主張は、せいぜいが詩的なだけのエッセイか、あるいは単なる既存学問に終わっている。
以下、主体化・主権化の方針をめぐって(強調はすべて引用者)。
■國分功一郎氏「なぜこの口調が必要か? 佐々木中『切りとれ、あの祈る手を』書評」より:
佐々木は前著『夜戦と永遠 フーコー・ラカン・ルジャンドル』でラカンの難解さについてこのようなことを述べていた。ラカンの難解さはラカン的主体を生産するためのものである。その難解さに挑戦する長い過程を経て、ラカンの読者はラカン的主体へと生成するのであり、そのためにあの難解さが設えられたのだ、と。 同じことを佐々木の口調についても述べるべきである。佐々木は単に己の知識を伝えたいのではない。この口調を通って読者が〈革命〉の主体へと生成することを求めている。
■2010年3月の国際シンポジウム「クール・ジャパノロジーの可能性」より:
- 「オタクが、主体構成の新しいあり方かもしれない」(シュテフィ・リヒター)
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- 留保して考えたい。というか、本物の政治的対立は、まさに《主体化の新しい方針》をめぐっているのであって、結論部分はその方針の帰結にすぎない。 私たちは、ある結論に潜んでいる主体化の方針をこそ読みとらねばならない。
■國分功一郎氏「『スピノザの方法』と一七世紀以降の知の歪み」より:
スピノザがデカルトの哲学体系に見出した歪みというのは、
もしかしたら、
デカルト=ニュートン的な知
一七世紀以降に人類が選択した知そのものの歪み
であるかもしれないのです。
説得、真理の公的な共有
そうした要請こそが、
人類の知を歪めたのではないか。
説得というのは
自分の考えの押しつけです。
相手の考えをねじ伏せて、
自分の考えを無理矢理認めさせるということです。
俺の本をお読みくださった安冨先生からは
あそこで國分さんが注目している「説得」というのは要するにハラスメントのことだ
というご指摘をいただきました。
なるほど。
私はこの「知の歪み」を、精神医学と、さまざまな意思決定について考えたい。
知の実態は、主体化と関係性の実態を設計する。
節度をわきまえない《科学》は、苦しみの共犯者かもしれない*3。
■千葉雅也氏の tweet より:
デカルト的な懐疑のメタ化に陥らず、むしろベタに成立しうる(直観的)知へと一挙に身を置く(デカルトの立場から言えば、そこに「居直る」とも言えるだろう)スピノザ。しかしなぜ、懐疑を昂進させずに済むのか。これは、精神分析的に言えば、どうすれば神経症にならずに済むのかという問いに等しい。
再帰的自意識に監禁された「社会的ひきこもり」において、この問いは核心にある。
■國分功一郎氏「非線形のエチカ」より:
一七世紀後半、
人類には二つの道が用意されていた。
一つは、デカルト/ニュートンの道。
もう一つは、スピノザ/ホイヘンスの道。
「この時点で人類は、大きな分岐点に立っていたことになる」(p.236)。
人類は迷うことなく前者の道を選んだ。
■中井久夫氏『西欧精神医学背景史 (みすずライブラリー)』(p.1)より:*4
精神医学は狭義においてはきわめて新しく、一九世紀において多数の医学分科が内科および外科より分化したとき、その掉尾として内科より分かれたものであり、系統的なその歴史はたかだか一八世紀後半より以前にはさかのぼりえない。 それ以前の系譜をさかのぼろうとする試みは孤立的、離散的な諸事実に架空の連関と伝統を賦与するに終わるであろう。 クーンの用語を用いれば、一八世紀後半以前は前パラダイム期である。 しかし、それ以後今日までも、たとえばフロイト、クレペリーンのごとき偉大なパラダイム・メーカー paradigm-makers にもかかわらず、なお「パラダイム間の闘争期」 period of contending paradigms を出ておらず、あるパラダイムの終局的勝利と通常科学への移行の見通しはまったくない。
-
- 医学というジャンルにおいて、精神医学だけが、《科学》という地位を獲得できていない。
精神科医療をめぐる立場の選択
「根拠に基づいた医療(EBM:evidence-based medicine)」を謳う精神科医らが依拠した DSM-IV は、実はそれ自体が、根拠の薄弱な分類体系でしかなかった【参照】。 つまりそれは、科学と呼べないものを科学と僭称すること、あるいは、そもそも《科学的に》扱うことがふさわしいかどうかすらよく分かっていないものを「科学的に扱っている」という口実のもとに処理する暴力だった*5。
「科学的真理は、社会的に構成されたものにすぎない」という相対主義だけでは*6、焦点を間違う。 科学という語りは、それ独自の厳密化をそのつど全うするしかなく、それはそれ自体として、主体化と社会関係の「一つのスタイル」を生きる。 「科学的に」語ろうとするなら、その内的要請を満たそうとわき目も振らず頑張るしかない。それは、そのスタイルでの主観性や結論のあり方を生きようとすることであり、それが扱おうとする問題にふさわしい処理のしかたであるかどうかは、また別の問題だ。ひょっとすると、そもそも「科学的に」扱おうとするその作法、その思考方針それ自体が、問題となっている苦痛や現象の元凶となる構造そのものかもしれない。
ある問題を解決しようとする一つの思考方針が、その問題の内的構造の加担者となっている可能性。
*1:1972年10月13日、ルーヴァン大学での講演(参照)より
*2:『Le Seminaire livre XVII: L'envers de la psychanalyse』(1969-70年のセミネール)
*3:とはいえ「別種の語り」も、方法的に明らかになっていない。
*4:この文章が書かれたのは、1970年代後半のこと。 DSM は「II」の時代であり、80年に「III」が発表される直前のころ。
*5:DSM-V 編纂メンバーによる DSM-IV の実態曝露は、いわば「逆ソーカル事件」と言えるかもしれない。 フロイト主義の覇権にあらがって作られたドラスティックな診断マニュアルは、科学を口実にしたデタラメだった。
*6:成定薫〔なりさだ・かおる〕氏「科学社会学の成立と展開――客観主義的科学観から相対主義的科学観へ」(『岩波講座 現代思想〈10〉科学論』pp.315-336に掲載の論考)などを参照。 ⇒引用:《客観主義と相対主義という対立の根源には「デカルト的不安」、すなわち、「われわれの存在の支柱とか、われわれの知識の確固たる基礎とかいったものが存在するのか、それとも、狂気や知的ないしは道徳的な混乱によってわれわれを包み込んでしまう暗闇の力から逃げることができないのか」という不安が潜在しているとバーンスタインは指摘している》