議論の順応主義

 にもかかわらず「急いで」話を進めようとするのは──上山さん自身に「急いで」いるというつもりがないのであれば──、それはつまり、「上山さんが取り組んでいる課題」なるものの分かりにくさについての深刻な自覚がないからではないのか(上山さんにとって「あたりまえ」のことだから、「それがわからないということは・・・」という風に、発想が進んでしまう、ということではないのか)、と考えたくもなります。 (「c.それが隠すもの」)

ていねいな労を割いてくださっている酒井さんが、これほど「理解できない」とおっしゃることは、軽率な悪意を向けられるよりずっと深刻です。 確かに私は、「ここまで伝わらないことなのだ」という事実に気づいていませんでした。
これは《制度を使った精神療法(PI)》関係の先生方にもお伝えしたいのですが*1、たとえば《制度》概念ひとつ取っても、通りすがりのように説明して何か橋渡しをしたことになっているかというと、全くそうはならない。ていねいに説明しても理解されないとき、それは党派意識になりがちですが――というより、ここでは学的努力の党派性そのものを考え直しているのだと思います――、「必要な問題意識が、これほど伝わらない」ということそのものが、ひとつの秩序として問われる必要があり、酒井さんからも、そのことをご提案いただいたのだと思います。


私の議論がわかりにくい理由の一つは、事実関係の細部を公開できないまま、結果的な認識だけを伝えようとしていることです*2。 そして私は、この支援業界の極端な閉鎖体質と、水面下で展開される陰湿な個人つぶしを主題化しているので、論じようとする行為が、論じようとする秩序によって監禁されている。 ですから、論じる行為自身が、自分の従う秩序を解体的に話題にできるのでなければ、本当に必要なことを論じたことになりません*3
その“業界”体質は、社会全体の秩序体質とつながっていますし、たとえば就労した後にも、人を苦しめる秩序方針が維持されている。――私は、自分の体験のディテールから、《内面/集団/社会》の秩序化を、同時に考えざるを得なくなっています。


具体的なトラブルのディテールなしに、こうやって抽象論を展開しても、議論の必然性が見えず、わけがわからないのだと思います。 そして、記述のしかたまで支配する秩序化の方針をめぐっては、長期闘争にならざるを得ない。現状を支配する方針そのものが人を苦しめているのだから、それを話題にして変えるのでなければ、核心に取り組んだことになりません。目の前で笑顔の「受容」をすれば支援になるという、その発想がすでに人を苦しめる秩序の一環になっている。――こんなふうに戦わざるを得ないということ自体、取り組みを始めた当初には見えていませんでした。


ちょうど今年は、私が「ひきこもり」に関わりだしてから10年の節目になります*4。 そしてこの10年は、私の周囲だけに限っても、トラブルだらけでした(警察にも相談しています)。

ここでトラブルをいきなり公開するのも一案だと思いますが、それは制御不能の揉め事を悪化させるだけで、秩序化のあり方は変えられないと思います。 今は、トラブル関係者のみなさんに、《すべてをアーカイブ化し、公開・素材化しませんか》と呼びかけ、この呼びかけをこそ続けたいと思います*5

    • ここで私が《素材化》と妙な言葉づかいをしていること自体が、すでに問題です。 この言葉には、私の目指したい取り組み方が凝縮されていて、ここ数年は、この言葉を中心にブログを書いているようなところさえあります。 それは、単に自分が全面的に正しいと主張することではなくて、自分の失敗したいきさつまで含めて、検証できる状態にしましょう、ということです。 ▼たとえばドゥルーズガタリの「n−1」とも関わるはずですが(参照)、いずれにせよ呼びかけられているのは、知的努力の方針や前提のあり方です。 単に順応的に努力するのではなく、体験事実をいちど「カッコに括って」、検証してみませんか、というようなこと。



トラブルを話題にできる状況創りじたいが、闘争性をふくんだ学問のテーマであり、それが理解できない “学問” は、苦痛の機序を悪化させる営みでしかない。 学問そのものが、ディテールを言葉にすることを禁じる勢力との戦いにならざるを得ない。 ひきこもりで問題になっているのは、《順応すること》それ自体をめぐる苦痛だから、単なる順応主義者には、この問題は扱えない。――私は、そういうスタンスでいます。



*1:考えてみれば、私が『精神の管理社会をどう超えるか?―制度論的精神療法の現場から』という本に何が書いてあるかを理解するまでに、たしか3年ぐらいはかかっていたはずです。 入手したのは2002年頃ですが、「これはひょっとして…?」と思い始めたのが2005年でした(参照)。 それまでは、陳腐なことをダラダラ書いているだけの、「イデオロギーによる精神療法」にしか見えていなかった。

*2:似たテーマを扱った「レポート『不登校は終わらない』(2)」は、自分では難しいことを書いたつもりだったのですが、事実関係をかなり公表できた議論であり、それなりに好評を頂いています。

*3:私が『「ひきこもり」への社会学的アプローチ―メディア・当事者・支援活動』に不満をもってしまった理由の一つも、ここにありました(参照)。 実際に業界が秩序化されているあり方は、トラブルを通じて如実に明らかになります。それを扱う手続きが、いまだ分かりません。 単に法的な、つまり事後的な紛争処理の手続きではなく、《実際に反復されている関係作法》そのものを主題化できる言語やジャンルが、見当たらないのです

*4:親の会などに参加し始めたのが2000年の初夏でした

*5:実はアーカイブ化の呼びかけそのものが、トラブルを繰り返し激化させています。今までと違うのは、この呼びかけを「水面上」に出したということです。