私は、「ひきこもっている人を社会復帰させねばならない」とか、「再分配せよ」というベタな課題に従属しているのではなく、参加する、つながりを試みる、という危機的な体験をそれ自体として主題化しています。そのことが、臨床上どうしても必要であり*1、また私自身、その取り組みを通じた参加やつながりを、どうしても必要としている。
私たちは日々、「つながりと参加」に取り組み直しており、それをルーチンに回収しきることはできない。しかし、ルーチンを仮構する局面は無視できない*2。
「つながりと参加」をベタに目指すのではなく、つながりと参加そのものを主題化することにおけるつながりと参加。