「分析なき参加」(上山和樹−永瀬恭一メール公開)

私は、「ひきこもっている人を社会復帰させねばならない」とか、「再分配せよ」というベタな課題に従属しているのではなく、参加する、つながりを試みる、という危機的な体験をそれ自体として主題化しています。そのことが、臨床上どうしても必要であり*1、また私自身、その取り組みを通じた参加やつながりを、どうしても必要としている。
私たちは日々、「つながりと参加」に取り組み直しており、それをルーチンに回収しきることはできない。しかし、ルーチンを仮構する局面は無視できない*2
「つながりと参加」をベタに目指すのではなく、つながりと参加そのものを主題化することにおけるつながりと参加。



*1:ラカンの用語でいえば、まさにここにこそ「象徴界」の取り組みがあります。つまり象徴界は、事後的に発見される「完成された体系」ではなく、制作現場の分節過程として主題化される必要がある。

*2:規範のルーチン化は、実務的に必要かもしれない。単に「すべて解体せよ」という話ではない。