「過去がついてまわる」

『横須賀・はるかぜ書店だより』:「今日までありがとうございました。」より:

 支援業界(業界というには、食べらんないところです・・苦笑)に”元”当事者という立場でかかわって、いつまでたっても、何をしても「ひきこもり」という過去がついてまわる現実は、正直うんざりもしました
 だったら出ていったらいいじゃん!
 その通りです!!
 世界は広く、未来は明るい!!

ぜんぜん他人事じゃない。
「ひきこもっていた過去がある人なんだ」というエクスキューズがあるからこそ、つまり交渉関係においてハンディをつけてもらえるからこそやっていける状態から、「互角に渡り合える交渉主体」へ、という卒業の意味はあると思う。
いっぽうで、ひきこもった過去を持つ人が巻き込まれる逃げようのない理不尽な現実があって(「履歴書の空白」問題など)、それについては、当事者性を引き受けるところでやらざるを得ないこともある。
上の『オールニートニッポン』1月19日でも話されていたが、ひきこもりの自助グループ等にいた人の多くは、なんとか社会復帰した後は、それまでの人間関係から離れていく傾向にある。
ひきこもりは、たとえば性的マイノリティのように、「一生その当事者性を引き受けざるを得ない」というものではない。どちらかといえば、「人生の一時的な脱落」として、早く忘れたいという選択肢もあり得る*1
このあたりは、たくさん論じるべきことがありそう。
「仕事として」ひきこもりに関わるのか、「支援される側として」関わるのか。



*1:「問題が済んだら、もうこの人たち(支援者や当事者)とは関わりたくない」というような。 その及び腰が、取り組み姿勢を悪い意味で限定し、問題をかえって長引かせているケースがあるようにも感じる。