心的リアリティと執着心

本当にごまかすことのできない執着心の一つとして、「反論したい」が挙げられると思う。
倫理的な理不尽感や、黙殺されたリアリティへの執着。
自分に不正を働いた人間がのうのうと生き残り、嘘をつき続けることへの許せなさ。――そうした執着自体に意味がないと感じたとき、あるいは「反論しても仕方がない」とあきらめたとき、自分が維持できなくなる。
「あきらめきれない」という徹底的な執着心のありかは、単に「生き延びること」ではないと思う*1。 生き延びるためには、内的なリアリティこそが大事だと感じる。 それを単に「甘え」と呼ぶ人は、自分が確保できている開放的な心的リアリティに気づいていない。



*1:「家族を守りたい」も、大事な固執のひとつだと思うが、それも「自分を実体化」していては無理。