「家族、積みすぎた方舟 P288〜293」

sava95 さんによる抜き書き。

 家族が家族である必要をもちつづけるのは、それが依存的な存在をかかえこむからではないのか? 家族は「性的な絆」であるよりはもっと、「ケアする絆」ではないのか? (略)
 「子ども」とは「病人、高齢者、障害者など」のすべての依存的な存在を含んだ「必然的な依存のあらゆる形態」を代表する象徴的なメタファーであり*1、「母親」とは「ケアの担い手」の代名詞にほかならない。 (略)