「当事者によるひきこもり論」が問題となる理由
- 【1】 社会的な意義と、個人的な負荷とのバランス。
- 「当事者発言」は、本人にとっての危険を伴う。
- 【2】 言葉との付き合い方の問題。 「考えれば考えるほどしんどくなる」可能性がある。
- そのような姿勢が伝播すれば、他の当事者にも悪い影響が出るだろう。
- 【3】 活動を試みた人が持ってしまう「代表 representation 機能」の問題。
- ひきこもりは、深刻さも個別事情も多様である。 言葉のレベルでいくら「自分は一事例にすぎない」と言ったところで、ある程度目立ってしまえば、「代表」であるかのごとく機能してしまう。
- 【4】 「当事者発言」の神聖視。
- 発言が特権化されてしまい、リベラルな議論ができない。
文章化。
支援者や評論家のおこなうひきこもり論は、社会的意義やリスクへの自覚も含め、大人の判断力で行なう公的活動である。 しかし経験当事者のおこなうひきこもり論は、特権に居直った私的な《自分語り》でしかない。 「自分が助かりたいから、ワガママ放題に自分の話をしているだけ」であり、ひきこもり業界の迷惑になっている。
【追記】: この↑文章は、私がこれまでに様々な機会に聞かされてきた声をもとに、私自身が起草したものです。 永冨氏が、直接このようなことを言ったわけではありません。 ▼自他の「当事者発言」を反省的に考えるために、今後時間をかけて検討するべきテーゼを、私自身が文章化して掲げたものです。