「欲動」 Trieb (独) drive (英) pulsion (仏)

精神分析事典』 p.505

 欲動という概念を扱う際に出会う第一の困難は、心理学化の誘惑、すなわちたとえば欲動を本能と同じものと考え、人間に残る動物的なものに欲動の名を与えてよしとするような早計な理解への誘惑に抗することにある。 英語への場合と同様、フランス語への初期の翻訳においても、ほとんど機械的にTriebという語を「instinct」(本能)という語で訳するというやり方が取られることによって、フロイトのテキスト自身がこの誤解に貢献することになった。

 1915年にフロイトは以下のように書いている*1。 「欲動についての理論は最も重要な問題であるが、また同時に精神分析の学説の中でも最も未完のものでもある。」



同書p.506

 ラカンにおいては、欲動は、無意識・転移・反復とともに精神分析の四つの基本概念をなすものであり、まさに、その概念的な彫琢に、けっきょく、もっとも微妙な注意深さを要求するものである。 欲動はまた、主体の欲望の特異性が把握される極限の点でもある。 欲動はそのループ状の構造によって欲望についてのアポリアを暴き、境界輪体(bounding cycle)のトポロジーへと導くものであり、そして結局は、現実的なものの領野へと理論的に接近する最も主要な方法の一つとなるのである。 現実的なものというこのラカン的構造を背景にもった用語は、主体にとって不可能であるものを示している。






*1:「欲動とその運命」、『自我論集 (ちくま学芸文庫)』所収。 ▼『フロイト著作集 6 自我論・不安本能論』では、この論考のタイトル「Trieb und Triebschicksale」は、「本能とその運命」と訳されている。