「快感原則の彼岸」(1920)より。
『フロイト著作集 6 自我論・不安本能論』 p.159
神経症患者の精神分析的治療のあいだに現れるこの「反復強迫」をよく理解するためには、まず第一に、抵抗を克服する際には「無意識」の抵抗とたたかわねばならないという誤解を除くことが必要である。 無意識、つまり「抑圧されたもの」は、けっして治療の努力には抵抗しない。 それどころか、ただ重い圧迫にさからって、意識に達しようとしたり、実際行動によって放出しようとつとめるだけである。
p.169上段
災害神経症者の夢が、患者を規則的に災害の場面につれもどすとき、それは願望実現に役立ちはしない。 彼らにとって、願望を幻覚として実現することは、快感原則の支配によって、すでに夢の機能として成立しているのであるが、しかしわれわれは、災害神経症者の夢は、快感原則が支配しはじめるまえに、解決されねばならない別の課題に役立つものと仮定してよいであろう。 不安の発生がとだえたことが、外傷性神経症の原因になったのだから、これらの夢は、不安を発展させつつ、刺激の統制を回復しようとするのである。 このような夢によって、われわれは心的装置の一つの機能について見通しをもつことができる。 その機能は、快感原則に矛盾することなく、しかもそれからは独立しており、快の獲得や不快の回避の企て以上に根源的なものと思われる。
「不安の発生がとだえたことが、神経症の原因になった」という記述に注意。
ということは、不安が継続していれば、神経症は回避できる。*1
p.169下段〜
これらの夢はむしろ、反復強迫にしたがうものであり、この反復強迫は、分析のさいには、当然のことながら、「暗示」によって促進される願望、すなわち忘却されたものと抑圧されたものとを呼び出そうという願望に支えられる。
外傷的印象を心理的に拘束するために反復強迫にしたがうような夢が、分析のほかの場合にも可能ではあるまいか? この問いは一も二もなく肯定される。
「終わりなき再帰性」は、それ自体が構造的な反復強迫。
再帰性を潰したり減衰したりするのが既存のひきこもり支援だが、私は、倫理的モチーフとしての「死の欲動」を肯定する立場から、再帰性の枠組みを、「エンジン」として温存する。 ただ、それだけではループ化するほかないので、「事後的な分析労働」という時間的構造を仕込み、自分の実存と一体化して、社会化の営みとする。
動態的な分析労働の事後的な試行錯誤は、その過剰性において、私を駆動し続ける。