- 再帰性すら、事後性を逃れることはできない。
- 事前的万端さを目指す再帰性のループに、「事後的分析」という時間軸を入れる。
- 遡及的分析は、忘我の公共的営み。
- これは、症候的な痛みへの同一化を図る、主意主義といえる。 主知主義は、痛みも事後性も根絶できない。
- 社会的な自由連想法。
- 事後性に基づく遡及的検証の枠組みとして、再帰性を残すこと。
- 「何があったのか」を確認するための、倫理的要請として。 主体の位置取り(享楽のスタイル)は、どのようであったか。
- 制度と個人の関係は、専門性の内実そのものにおいて問われる。 また、いわゆる当事者性も、「関係の制度的運営」における位置取りとして理解される。
- 専門性と当事者性が、公正さの観点から再検証される。
- 「goal を目指す process」ではなく、「aim としての process」*1。 事後的な分析という真摯な労働をともなった再帰性は、それ自体が無神論的な信仰の枠組みと言える。 この営みを、そのまま社会的な営みとする。
- 「事後的な分析」を、倫理的労働の、つまり闘争の枠組みとする。
*1:「goal」とは、「最終的な目的地点」。 「aim」とは、「プロセスそのものが目的であるような目的」。