「笑顔」か「就労」か――《動機付け》について

人間力」への抵抗など、本田由紀氏は「若者の心に触ってはならない」という一貫した姿勢を持っておられ、このことをまず最大限に尊重・支持したい。だがこれは逆に言えば、ひきこもり系の就労問題において最も難しいとされる《動機付け》――教育・雇用の機会増大だけではケアしきれない心理的な要素――が、不問になっていることでもある。▼本田氏は、みずからのミッションを制度的環境整備に限定しておられる(ように見える)ことから、こうしたご姿勢は役割分担として当然とも思えるが、「動機付け」を不問にすることによって、逆に「動機付けできない層」については、あやうい発言もしている(p.58)。

 「ニート」の中で、納得できる仕事さえあれば働きたいと考えている人たち(「非求職型」)に対して、「ひきこもり」の人たちに対するものと同種の対策――「若者自立支援塾」でうたわれている「勤労観の醸成」など――がなされることは不適切です。

動機付けがなされていない層に対しては、やはり「勤労観の醸成」が必要である、と・・・?▼いや、これも説明展開上の「言葉のあや」だろう*1。 「動機付けできない層」への本田氏の案は、以下の部分にまとめられている(p.66、強調は引用者)*2

 すでに予防という段階をすぎて、「負の連鎖」の深い部分に入り込んでしまった若者に対しては、矯正ではなく力づけるための手厚い支援が必要です。彼らに対しては、就労と直結させるような施策ではなく、もっと根底からの自己回復を手助けするような取り組みが必要になってくると思われます。
 たとえばヨーロッパでは、アート制作などの活動を通じて自己表現できる場を設けることが、このような層を元気付けるために有効であるという報告もあります。軍隊を思わせる規律訓練ではなく、失われていた笑顔を引き出すような方向でのじっくりした対応が必要だろうと思います。

ここで目指されていることが、「笑顔を引き出すような方向」に限定されるなら、その指針自体は無条件に肯定されるべきだ。▼微妙なのは、そのように元気付ける=「動機付ける」という事業と、「就労させるべきである」という規範意識との関係だ。――そもそも両者を分けた形において、予算のための政治的説得は可能だろうか。
これについては、継続的に項を改め、今後の課題としたい。



*1:それどころか、政策決定のプロセスにおいては、本田氏のような説得パフォーマンスは是非とも必要だと思われる。▼二枚舌・三枚舌は常に必要だ。

*2:本田氏の描かれているアイデア自体は、選択肢の一つとして重要だと思う。