権威性と立場

斎藤:「語の発案者の影響力は考えなくちゃいけない。ゆきがかり上わたしは『ひきこもり』という語の発案者とされていて、玄田さんは『ニート』の発案者ということになっている。すると、私たちの厳密な意見や思惑とは別に、語そのものや私たちの発言を利用しようとする人たちがいるわけで、私や玄田さんはそのことに自覚的でいる必要がある」

斎藤:「ひきこもりやニートについて、肯定論と否定論の『両論併記』をする必要がある。が、私たちの言説を利用する人たちは、『斎藤がこう言っていた』などと、肯定論と否定論の『どちらか片方の説』を自分の陣営のために利用する」

身に帯びてしまった権威性に自覚的に振る舞いましょう、ということだと思う。
斎藤環氏は、引きこもりをめぐる啓蒙活動において、そうしたご自分の機能にかなり自覚的に振る舞ってきたかただと思う*1

玄田:「先日、村上龍さんと対談でご一緒したが、もうすぐ新しい小説が出るらしい。『半島を出でよ』というタイトルで、北朝鮮が攻めてくる話らしいのだが、そういう小説を書くと必ず『あなたの政治的立場は?』とか『天皇制についてはどう思いますか?』といった質問を受けるが、『自分は立場を明らかにしないのだ』とおっしゃっていた」

これに続けて玄田氏は、「私もそういうスタイルだ」と言ったように思うが、違うかも。*2



*1:当BLOGでは、この点に何度か触れた。玄田有史氏に関して言えば、たとえば氏が「東京大学助教授」であるという事実が重要だと思う。 ▼こうしたことは、「権威主義」云々とはまったく別の話。戦略上の要請だ。

*2:大事なところだというのに・・・・すみません。