記事より私の発言(1)

 「ひきこもりやニートに対して否定的な方々からは、必ず自衛隊と強制労働の話が出てくるんです」
 上山さんが先のホームページにこんな感想を載せたところ、多くの反響が寄せられた。

  • 細かすぎるかもしれませんが、私なら「必ず」と言わず「必ずと言っていいほど」などと言うと思います。 大事なのは、「強硬派には、『ニートの自由にはさせておかない』という感情的苛立ちと弾圧・差別への渇望がある」ということなので、ひとまずそのニュアンスが伝わればいいのですが、私は可能な限り「感情的言いつのり」のような表現形態を避けたいので、「必ず○○なんです」という言い方には抵抗を感じ…、そのようなことです。
    • 強硬派は、経済・思想・法律*1などに鑑みた施策的正当性を合理的に検証するのではなく、「甘ったれやがって!」という感情的吹き上がりがまずありき、という印象はぬぐえない――言いたかったのはそういうことです。
    • ちなみに、「現在の自衛隊に暴力的な特訓はない」ということを、元自衛官id:anhedonia さんが以前証言くださいました。 【三島由紀夫体験入隊のような短期特訓的なものはあるのでしょうか。 というか、「ニート対策」として、そういう特殊プログラムが新たに用意されるかもしれませんね…。】


  • 私が当BLOGに載せたルポでは、まずは言論ジャーナリスト的に出演者たちの発言を記録し*2、一方では当事者の政治意識のなさをも問題にしており、さらにそこから安楽死問題へ・・・・と、「一方的に強硬派に反抗する」という素振りではないつもりです。 強硬派の感情論には合理的説得術がなく、まさに下世話な「草の根の説得力」に訴える形だと思うのですが、それに対するのに、こちらが同じく感情的反論(あるいは単なる道徳的説得)になっていては仕方がない。 こちらとしては、強硬的要因(あるいは、それを支持する意見が根強い人気を誇っているという政治的事実)をも視野に入れつつ、冷静沈着な観点から合理的・客観的施策・対策を検討したいのであって、感情論に走っては、圧倒的少数派のこちらに勝ち目はないし、そもそもラディカルな取り組みにはなり得ない。 【いや、いわゆるPC*3の形を出せれば、少数派でも・・・? しかし、そもそもニートや引きこもりが「権利を主張すべきマイノリティ問題である」という共通見解さえ、いまだないはずだ(単に「甘えている」ならマイノリティ問題ではない*4)。 ひきこもりに関しては親の会が国会議員の勉強会を開くなど、マスコミの暴言を防ぐ効果を持つ動きもあるが、ニートに関しては完全に「言いたい放題」。 当事者レベルにも親レベルにも「圧力団体」に相当する集まりが全くない。】
    • ひきこもりやニート、すなわち「生産活動から降りて、税金を払わない存在」は、≪権利≫としては認められるべきだとしても、仮にそのような存在があまりに増えてしまえば、当然ながら経済社会は破綻する。 だから奇妙な理想主義のように「ひきこもりは正しい!」などと叫んでみても――ミクロレベルの論争でそう言い放つことに意味のある局面はあるにせよ、マクロ的問題意識からすれば――意味はない。 私は立場上ひきこもり当事者(経験者)なので、一方的に「ボクのことわかって!」*5と叫んでいるように見られがちだが、それほどナイーブなことを口にしているつもりはない。 可能な限り冷酷に・合理的に考えようとしている。
    • 一方的に強硬派を叩くべき局面はもちろんあるが、感情的反論はかえって政治的に自殺行為になることもあり得る、というぐらいの冷静な判断力は持ち続けるつもり。






*1:以前も指摘したことですが、「勾留のうえ、労役を科す」という橋下徹弁護士の見解(冗談で言ったのではなく、明らかに本気でした)は、法律の専門家として許されるものなのでしょうか?

*2:先日も触れましたが、視聴ルポの補注「1」にお断りしたように、このリポートは放映直後に書いたとはいえ、「記憶とメモに頼っている」ため、引用された発言内容等には誤りがあり得ます。

*3:politically correct(政治的に妥当)または political correctness(政治的妥当性)の略

*4:ある人は私に、「戸籍差別は≪いわれなき差別≫だが、引きこもり差別は≪いわれある差別≫だ」と言った。

*5:某支援団体代表はイベントの際、隣りに座っている私を指差して「こういう『ボクのことは誰もわかってくれない!』みたいなのが典型的だ」と言った。 「当事者発言」は依然こういうレベルでしか見られていない。 これについては後に必ず詳述するつもり。