資料より

樋口氏作成の資料中、「ニート支援」の方法論を描いた一部分がきわめて印象的だったので、引用の上、感想を付します。 (太字・赤字強調は上山)

意欲を与えるのではなく、機会を与えること

  • 就労意欲というフィクション
    • ニートに限らず、正社員やフリーターにも当てはまるが、就労意欲の有無は、日常的な労働にとってほとんど重要性がないと考える。 なぜなら、日常的な経験として、われわれは就労意欲があるから働くわけでは必ずしもないからである。 むしろ、正確に言えば、われわれは働くことを通じて就労意欲を構築し、それを事後的に感じるにすぎない
    • 就労意欲とは、事後的なフィクションである。 このフィクションは、労働の継続に関しては一定の効果を発揮するだろうが、労働への新規参入に関しては無力ではないか。
  • 焦り、嫉妬
    • われわれを就労に駆り立てるには、他者との比較を通じた焦りや嫉妬のほうが有効ではないかと考える。 重要なことは、焦りや嫉妬などの感情は、何よりも比較可能で身近な他者(仲間)との付き合いから生まれるということである。
  • 憧れ、趣味
    • もちろん、焦りや嫉妬以外にも、社会との関係を生み出す契機はある。 例えば、身近な者に対する憧れというのは基本的にいい結果を招くのではないか。
    • また、憧れとともに、趣味も社会との関係を築く契機になる。そうした意味では、オタクも強い社交術となりえる。
  • 機会をつくる
    • 就労意欲を前提とすれば、「わたしは就業意欲をもたなくちゃならない。 何をしたいか分からないけど」という本末転倒に落ち込みかねない。 したがって、支援の目的とは、あくまで社会参加や就労への機会を提供することであって、就労意欲の醸成そのものではないと考える。
    • したがって、「とりあえず働いてみる」ことができるような環境を生み出すことが必要であろう




各点への感想

  • 「就労意欲とは事後的なフィクションである」というのはうならされた。 なるほど。
    • → これはきわめて重要な論点ではないか。
  • 嫉妬や焦燥は、ひきこもりのように「どうにもならない」という絶望感とセットになってしまうと、逆に身動きが取れない原因となる。
    • 斎藤環氏がご自分のミッションを「数人の仲間ができるまで」とされているのはそのせい。 人間関係ができさえすれば、その仲間たちとの関係から「次へ」の模索も始まるが、その「仲間ができるまで」にものすごく高いハードルがあって、それを越えるまでは「嫉妬・焦燥」はマイナス要素。
  • 「憧れ」は――外部世界との切断感情があまりに強いために――持ち得ないか、持っても「自分にはムリだ」という絶望感が嵩じるのでは。 (ミジメすぎる現状を補填するために築き上げた「高すぎるプライド」も、「憧れ」の邪魔をするだろう)
  • 「趣味への勧め」は、すでにオタク的趣味を持ち得ている人にとっては、「仕事もしていないのにこんなことをして・・・」という後ろめたさが軽減できて、いい論点かもしれない*1。 しかしオタクになれない身としては、「欲望を持つことを強要されている」ように感じる。
    • 「趣味はあるが、対人恐怖を克服できない」というケースも多いのでは。
    • 私自身は、趣味よりも「思い詰めたプロジェクト」を必要とする。 「この世界に取り組む理由」。 → それもたしかに≪事後的に≫形成されてきているかもしれない。 取り組んでいるうちに、いつの間にか「次の課題」につながってゆくこと。
  • 「とりあえず働いてみることができる」機会設定の多数化・多様化はぜひ必要。 マジ必要。
    • しかし、「本当に閉じこもっている当事者にはどうしてもアウトリーチできない」という課題は残ったまま。 「来てもらうまで」が死ぬほど大変なのでは。
    • 現実には、「いろんな仕事をやってみたけど、続かない」という人が多い。 その「続かない理由」について、≪本人≫と≪労働環境≫のどちらか一方に責任を押し付けるのではなく、「相互的に変わってゆく(変えてゆく)」*2という視点が重要ではないか。








*1:斎藤環氏は、これに「異性への欲も認めてあげるべきだ」というメッセージを加えていた。

*2: → 「個人と環境の相互変化」、「熱すぎる風呂」などを参照。