苦痛緩和への創造性

フーコーという権威を持ち出せば、自動的に「精神科医」すべてを批判できると思ってるバカがいる*1。 そういう人間は、まずたいてい苦しんでいる人のための苦痛緩和の努力を何もしていない。 現場の苦渋に満ちた事情を学ぶ気がなく、発言に責任を負う必要のない、負うつもりもない人間の放言に、どうして付き合えようか。


「苦痛緩和」という課題に本当に真摯に取り組めば、既成の「医者」という枠組みには留まれない、とか、そういう言い方がいいのかな。
僕自身は、もちろん医者ではないし、そもそも既存の方法論では「苦痛緩和」にあまり役立たない、という苛立ちがあって、いろいろ考えているわけだが。 (そうして、頓挫している)


既存のものに不満を漏らすだけでなく、代替案を出してくれ。 (切望)
具体的に取り組んだ人間が不完全なのは当たり前だ。
くり返す。 「じゃあ、あなたならどうするの?」







*1:権威主義はいけないって、フーコー大先生が言ってたぞ!」という茶番。 反権威を謳う人間が傀儡的であったり、自身権威的に振る舞ったりするのは、よく見かける。―― そう語っている僕自身が権威的でない保証はあるかって? ない。 その都度その都度、見極めるしかないでしょう。 「お前は権威的だ!」「お前こそ!」というのは、どうしようもない水掛け論だ…。(とりあえず、上記のような矛盾を衝くぐらいしかないのかな。)