学問のできる人は、それだけ濃密な「コミュニケーション」をしているのだ。
僕が何かの問題に取り組むなら、そこに濃密な「コミュニケーション」のチャンスが広がる。
自己目的としてのコミュニケーションであり、おそらくは生きることの最高の楽しみがそこにある。
いきなり性愛や仕事を目指すのではなく、「コミュニケーション」というレベルに真剣に取り組んでみること*1。 それなら、いきなり絶望することもない。
「話をしたい」と思う相手を見つけること。 その前に、「自分の問題」に取り組む努力を続けておくこと*2。
問題解決を目指して努力すること。 その取り組みに、コミュニケーションのチャンスが生じる。
「解決」できなくても、プロセス自身が自己目的だ、と思えればいい。
僕が絶望を口にするたびに、おそらく僕のことを大事に考えてくれている人たちをいくらかは傷つけている。 僕が絶望を口にすれば、僕を攻撃する人たちは喜び、大切にしてくれる人を傷つける。