凍結する自意識

「本を読めない」理由についてずっと考えてる。

  • 「恋愛」というファクターが出てくるとつらくて投げ出してしまう
    • 積極的・肯定的な希望だけで語られた作品はつらくなるばかりだが、「恋愛」系に特に耐えにくい。


  • 一冊一冊の本に、強迫的にこだわりすぎる
    • 濫読・併読できないか。


  • 自分にとっての「本当の課題」がどこかにあるはずだ、という形而上的な(?)せき立てが常にあって、目の前の本がその課題に直結しているようにどうしても思えない
    • 自分の「本物の人生」がまだ始まっていない ―― いや、何物にも没頭できない投げやりな時間こそが僕の「本物の人生」であり、そうしたものでしかあり得ない、という諦念に近づいている。


  • 自分の人生を、物語にすることに失敗している
    • フィクションに秘められるような慎ましやかさを、僕の日常感覚は持っていない。 それは恋愛へのインポテンツと関係あるか。
    • 自分の「フィクション親和性の低さ」をずっと気に病んでいるが、「フィクションにこそ真実がある」というあの古典的議論は、何か臨床的な意味を持ち得るか。
    • 「フィクション親和性の低さ」=「コミュニケーション能力の低さ」?


  • 理論的な努力への幻滅
    • 理論は、防衛(武装)であると同時に創造であり、具体的な対処でもあると思うんだけど、「理論的探求のプロジェクト」を形成することに頓挫している。 敵は不可視で大きすぎ、創造性の芽はなかなか見えない。
    • 理論的な努力は何をもたらし得るか」についてのビジョンを持つことにすら失敗している。
    • 「言葉」の経験が貧困すぎる。 成功経験や快感経験が少なすぎるので、そこに鉱脈があるようにも感じにくい。


  • 「渇き」をどのように自覚するか
    • 「渇きを満たす信念」が見えない。
    • 「渇いていないことにする」しかないのか。 (性愛や承認への渇きのように)