考えるつらさに見合う鉱脈もあるだろうか。

これまで当ブログでは「おんなのひと」を、≪性愛≫との関連でのみ語ってきた。 しかしじつは、もう一つ大事な側面があったはず。 ≪生活≫だ。 おんなのひとの語る話には、つねに「生活」の厳しい匂いがぷんぷんしている*1


たぶん、僕はこの問題領域を、意識せぬまま抑圧していた。 それほどに、おぞましい話。
「金を稼ぐ労働」とは別種の、しかし勝るとも劣らぬ、不安の淵源…。


今日はひとまず、「この問題を俎上に載せてみたい」という意思表明だけにしておく。
それにしても、どんなアプローチをすればいいんだか…。







*1:それはジェンダー論(「性別による役割分担」)の観点から問題が、云々…といったことも含め、これから少しずつ考えてゆきたいです。 ひきこもりは「主人」ではなく、「主夫」を目指せばいいのか?とか…。