「恐怖に取り組む」

『リリカの仮綴じ〆』より。

その女性が昔話をするなかに、「差別する感情の底にあるのは恐怖心に他ならない」という言葉が出てきて、はっとする。
「強い」というのは、自身の恐怖心をどんなふうに自覚して扱うかということに関係してるんじゃないだろうか。



弱者は、なぜか強者ではなく、自分の隣りにいる(自分と似た)弱者を攻撃する。 ひきこもり同士の、醜い差別合戦。 じつは自分が何に怯えているかにさえ、気付いていない。 他罰的になることしかできない人間の、絶望的なまでの弱さ…。


最近気付いたのだが、僕が最高にストレスを解消できる方法は、「問題を共有できる人と話す」こと。 「1を話せば10が通じる」ような人と話せたとき、どれほど救われるか。 「意見を共有する」必要は、必ずしもない。 「問題のツボ」さえ共有できればいい。 要するに、「ミーティング」がしたいのだ。


「恐怖そのものに取り組む」ようにして、建設的な議論ができないだろうか。