「左翼的」でない連帯?

岸政彦さんのご指摘(050124)にも関わりますが、最近はいろんな方が、「弱者が連帯して活動することが難しい」ということを言う。「ひきこもり」などは分断化・孤立化の極北なのでその典型ですが、それでなくとも「集団的に何かを為すのはカッコ悪い」とか、当事者であっても(というより当事者であるがゆえにこそ)内部で意見の対立や相違があって、努力がちっともまとまらない。 → この弱者の分断化が、ますます弱者を追い詰める。
あらためて考えていたのは、「弱者問題に関わりながら、(悪い意味で)左翼的にならずにいるにはどうしたらいいのか」ということ。「オルグする」という左翼用語*1が典型的ですが、対抗運動自体が集団主義的ではまずいのではないか。むしろ「集団に馴染めない」人間に何が為せるのか、あるいは利害や意見の対立する人とさえ共有できる努力はないのか、という模索(というか方法論)が必要に思います。





*1:「連帯」や「共闘」といった単語がすべて左翼の手垢にまみれすぎていて・・・。