「公」と「私」のよじれた関係

興味深い論点をたくさんいただき、本当にありがとうございます。時間はかかると思いますが、一つ一つの論点について、じっくり考えてゆきたいと思います。


「雅子妃の現状を≪ひきこもり≫と呼べるか」については、考えているうちに話が広がっていきました。ご本人の「状態像」についての情報が少なすぎるので*1、今は問いそのものに「Yes/No」で答えることは控えますが、「雅子妃の置かれている状況(の論理)はどのようなものか」について考えることは、いろいろと生産的であるように思えます。


ひとまず僕は「公/私」のよじれた関係が決定的であるように思えました。日本では、昔から「ハレとケ」*2と呼ばれたそうですが、この「公私」概念(の論理)は、西欧的なそれとは違うのでしょうか。
また、「皇太子妃」と「一般国民」では、「公私」の区別も違っているように思えます*3


「ひきこもりを非難する人は、雅子妃も非難するのだろうか」という問いも含め、この件はもう少し考えてみます。




宮台真司氏 『憲法対論』ISBN:4582851649 も入手しました。
読むのにものすごく時間かかりそう…。



*1:「長期にわたり家族以外との接点がまったくない」のか、それとも「公の場には姿を現さないが、個人的な友人関係は保っている」のか。

*2:漢字はないのかな

*3:これは憲法論になるのでしょうか。