≪働かねばならない≫には、 ①価値観レベル と ②事実レベル がある。
- ①は、社会や家族による道徳的脅迫、本人の自責の念などを生む。②で働く必要がなくても、①が働くことを要請したりする。
- ①と②は自覚されないまま状況の中で複雑に絡み合っている。
- ①が牽引役になって②を養っていることも多い。「それでもオトコか!」みたいな精神論は、そういう図式に巻き込もうとしている。
- 社会のマクロレベルで②なので、動員のためのスキームとして①が持ち出されたりする。「働かない奴はクズだよな」みたいな。
- 個人レベルで本当に考えなければならないのは②であって、①は不必要な観念肥大でしかない。
- ①なんてくだらない、と言うのはたやすいが、その信念が社会的に多数者に共有されている事実は無視できない。個人として振る舞う際、環境の事実として(戦略上考えなければならない変数として)受け止める必要がある。ただし、「そんなのおかしいではないか」という状況変革は目指すべきだと思う。
- ①を強調することは、実はマクロに見ても社会的損失を生んでいるのではないか。
- 「〜をすると△が手に入る」というように、「事実」のみを説得材料にする方が(動員のスキームとして)合理的では。
まだ思いついたばっかりで混乱してるけど、この程度のことはすでに誰かがまとめてそうだよね。