考えるヒント

 後者のページには「言語の過剰さ」について批判的なコメントがあって、とくに僕は「ひきこもり」に関して言葉を紡ぎ出すことを当日記でしているわけなんだけど、僕としては、言葉を使うのはただ「説明する」ためではなくて、「次に向かう」ためだ。何か必死に洗練化している気がする。行動しないための言語ではなくて、行動するための言語。(「行動」と言っても大げさなことではない、僕の個人的なことだ。)
 それと、「当事者が必要としている言葉」と、当事者ではない人たちに向けた言葉は当然違ってくる。そのへんは僕も自覚しながら、「作品としての言語」に取り組む必要があるんだと思う。
 ――前にも書いたが、たぶん僕の言葉なんて必要とするのはごく少数の人だ。でも、少なくとも僕自身が言葉の貧しさに苦しんでいるのだから、僕が自分でそれを生み出す努力をするのは必然ともいえる。