2019-01-01から1年間の記事一覧

和樹と環のひきこもり社会論(11)

(11)【「メタ信仰学」について】 上山和樹 率直にお聞きします。斎藤さん、「必然性のもとで行動している人」というのは、「信仰のもとで行動している人」と言い換えてはいけませんか? 「理由が説明できる行動には必然性がない」「説明できれば必然性は消え…

和樹と環のひきこもり社会論(9)

(9)【必然性の門】 上山和樹 「社会参加への欲望と、社会そのものへの絶望が共存する時、欲望と義務は一致する」。これは本当に核心的なご指摘です。 欲望と義務が一致すると聞かされて、私が真っ先に思い浮かべた言葉が、「必然性」でした。生きている自分…

和樹と環のひきこもり社会論(7)

(7)【「娑婆から出てはならない」という掟】 上山和樹 カフカの『掟の門』と芥川の『河童』から、掟の門を「産道」と捉える解釈を示していただきました。ひきこもっている状況は、「生まれたくない」、つまり「くぐりたくもない」門の前で通行止めにあってい…

和樹と環のひきこもり社会論(5)

続いて(5)です。 (5)【欲望することは義務か?】 上山和樹 斎藤さんから、「自由」というテーマに関し、「欲望を行為に変換する可能性の幅のこと」という説明と、カフカの寓話「掟の門」を出していただきました。それで何よりも思い出したのは、芥川龍之介…

和樹と環のひきこもり社会論(3)

前回の(1)に続いて、(3)を公開します。 往復書簡ですので(2)は斎藤環さんの番ですが、ここでは公開できません。 (3) 【自殺的な自由】 上山和樹 「どうすれば本人が自由になれるかに照準した発想が必要だ」という斎藤さんのご提案にまずは全面的に同意…

和樹と環のひきこもり社会論(1)

私は2006年(平成18年)から2008年にかけて、斎藤環氏との公開往復書簡を行ないました。『ビッグイシュー』という雑誌誌上でのことです。かなり好評も頂いたのですが、斎藤氏が私の問題意識に激怒し、一方的に降りられるという形で幕を閉じ――これをきっかけ…

ひきこもり問題が広く知られてもうすぐ20年

規範的に説教するか、丸ごと受け入れるか――そのどちらかしかできない支援では、《体験の内側から試行錯誤のありようを語りなおす》ということは出来ません。そうすると、ひきこもり問題の核心部分を論じられない。ひきこもりの話が、いつまでたっても「自分…

動詞的・身体的な技法の多様性

理論と規範ではなく、技法論的な当事者性から考えたい。 そういう私の視点にとって大事な話をしている論考から引用メモ。*1 野口裕之「動法と内観的身体」(PDF)より 先人達が拓いた無形の遺範でありながら、現在は既に風化しつつあるこの伝統的身体運動を、…

文字起こし【メディカル・ジェノサイド: 中国の臓器移植産業の隠れた大量虐殺】(新唐人テレビ)

メディカル・ジェノサイド: 中国の臓器移植産業の隠れた大量虐殺 データもたくさんあり、衝撃的な内容がよく纏まっているので、字幕を書き起こしてみます。 もくじ 動画内に登場する語り手たちが著者である書籍: 動画の字幕より: メディカル・ジェ…