動詞的・身体的な技法の多様性

理論規範ではなく、技法論的な当事者性から考えたい。
そういう私の視点にとって大事な話をしている論考から引用メモ。*1


野口裕之動法と内観的身体」(PDF)より

先人達が拓いた無形の遺範でありながら、現在は既に風化しつつあるこの伝統的身体運動を、私は〈動法〉と呼び、〔…〕日本の文化は動法を土壌として咲いた花である。



それぞれの文化に特有の身体運動があるなら、それは「動法の多様性」というふうに言えるんだと思う。これは民族名など「名詞の多様性」を基礎に据えるのとは別の、いわば動詞的な技法の多様性を吟味するものだろう。


私にふさわしい技法は、あなたにはふさわしくないかもしれない。それぞれに適した技法は、身体その他、さまざまな要因に規定される。運動イデオロギーで支配するような全体主義は、いわば技法論的にこそ(そのつど個人的に)修正される。そのような技法論的修正に場所を与える環境が望ましい。


野口氏の論考で「日本」と名指されているのは、血筋によって囲われる何かではなく、日本と呼ばれる環境における技法の集合的傾向を言っているものと私は受け止めている。

例えば茶の湯の美は、その様式の中にあるのでなく、極まるところ、主客双方の磨き抜かれた動法に求められる

如何なる卓越した形式も、それを活する動きがなければ生命を有たぬ。一期一会の風雅は、主客双方の密度の高い気の集注を伴う動法が、感応道交する「今」という瞬間にしか求められない

茶人の動法は茶道にのみ特有のものではない。〔…〕
その歩行、坐法、躙り、膝行も、神道武術と共有するもの〔…〕
動法は文化のあらゆる閾を縦貫している

能の謡いは、腹に響座を求める点に於て神道や修験の気合法と相通じ

こうして先人達は、農耕、祭祀、戦闘、意匠、風雅に際し独自の形式を創造したが、それらは、そもそも日本人が有する共通の動法の規範に則って生み出されたものであった。多くの渡来文化も亦、動法の洗礼を受けずして定着したものは無かった。

大陸ではさほど強調されなかった腰の反りが、日本の座禅に於て不可欠のものとなったのはその好例であろう。〔…〕この腰の反りは日本人がよほど好んだ動法の型とみえ、諸分野に遍在している。書家の運筆、或は庶民の食卓に於ける坐構えに至るまで散見される。

考えてみれば、明治維新以来の学校体育は、ナンバに代表される動法の伝統を絶滅しようと試みたのである。百年を経た今日、この国策は勝利し、一方、伝統技存続の危機を招くに至った。繰返すが、動法という土壌を失えば、花はいくら保護しても滅する以外にはない。

工芸家 秋岡芳夫氏は日本文化の特質の一として「一器多用性」をあげている。〔…〕剣術家 甲野善紀氏は、一器多用の代表として日本刀を例に挙げている。

日本の匠達が造り出す道具は未完の器である。しかしそれは匠の技が未成熟という意味では無論ない。それどころか道具のもつ機能と人の運動機能の融和を図る為に未完を保つのである。

日本の道具は既に使用者の動法を促すよう造られている。例えば急須の柄は、握るには短すぎる筈である。勿論先人が手が小さかった訳ではない。そもそも急須の柄は握るためのものではない。拇親の腹と鉤形にした人差指で挟む為のものなのである。湯の重さをこの型で支える為には小指を強く深く握り締める動法が要求される。小指の使いこなしは動法熟達の基礎とも言うべきものである。

動法は嘗て日常の些事にすら漲っていたのである。動法の形成する型が日常生活の中で実際に機能していた時代があったのである。それも遠い昔のことではない。

躾という文字は漢字ではない。国字である。身ヲ美シウスルと書く。ここに古人の抱いた教育観がある。端的に言えば日本の教育は身体の教育であった。

学習とは思考の鍛練ではなく、身体の行法であった。したがって教育の第一義は、身の律し方であり、それは即ち動法の規範と型の伝承だったのである。

腰抜けは臆病の証である。腰が入り肚を据えれば、自信や覚悟が生まれる。古人は腰や腹に人品を観たのである。

嘗て精神は身体と至近にあった。精神は言葉によって構成されている。言葉はもと声であった。声は体から発せられるのである。発声は動法をもって為すこと既に述べた通りである。言葉はもと文字であった。文字は書である。書は動法をもって為されたのである。こうして古人の知性は動法の光彩を放つのである。

動法の理を求めれば型は自ずと生ずる。動法と型は対を成し、型を論ずることなしに動法を語る訳にはいかない。元来動法とは型に入り、これを転じ、型を収めるという行程を指すのである。したがって如何なる型も、この迎入れ、転変、収束の三態を有している。

守破離」を思い出す。

現代は型無き時代である。したがって型は不当に曲解されている。代りに流布された身体運動の規範は、謂わば「弛緩と自然」である。これを強調するあまり型は自由と個性を奪うものであり、強要抑圧の端的とされた。しかし動法の規範が「硬直と不自由」である筈がない。寧ろ自然に楽々と動くためにこそ、型は用いられる。

いわゆる「型なし」

動法の規範として古人の間に共有せられたものに、キレ、タメ、シメ、シボリ、オチ、オトシ等がある。しかしどれ一つとして外観記述を許さない。それどころかそれを拒むものばかりである。腰が入るといい、腹がきまるといい、胸のオトシと言うも、外観的形態の記述は不可能であり、無意味である。そもそもそれらは優れた動きを達成した際の内観的充足感の記述であり、したがってこの規範は内観に求めて初めて価値と有用性を生ずる。ここに言う内観とは、身体の内観を指す。動法に内観は不可欠のものである。

ここに、技法の当事者性が語られている。
技法に関していくら「客観的・外観的」記述を重ねても、それは核心を欠いている。逆に言うと、技法的に習得できていても、客観的・外観的言語化を伴うわけではない。「完全な言語化」を目指すことは、技法的習得を毀損しさえする。

  • 自転車に乗れる人は、「どうやったら自転車に乗れるか」を完全には言語化できない。無理に言語化を要求するのは無意味であり、それどころか操縦にとって有害ですらある。



すでに自分がどういう技法的実態を生きているか。
理論や規範をメタに語りたがる人は、そういう自分がすでに具体的な技法を生きていることを無視する。理論や規範は技法的実践の一部分であり、「完全なメタ」はあり得ない。
「理論と規範」という語りのありようが、すでにいくつもの型を伴っているはずの時間的な生を台無しにしている。ここをやり直さねばならない。

内観なき動法は有り得ない。今日の、動法風化の要因は自らの身体を内観する習慣の欠落にある。内観性が乏しければ型が単なる虚しい形式のように感じられても無理はなかろう。

動法理解の鍵は解剖学無き時代の身体観にある。解剖学的区分を忘れ、素直に自らの身体を内観し、その感ずるがままの内観から得られる身体像を、私は内観的身体と呼ぶ。〔…〕内観的腹部は立体性と複層性をもつ

「腹がきまる」という動法の規範は、動法者の内観の中に求められたものであった。しかも、その腹とは、内観的腹のことである。身体を内観することを知らぬ現代の人々は、古人の動法の叡智を客観的身体に求めてしまう。

私は、単なる身体運動に過ぎぬ動法が、日本文化に深く定着し、その精神的営為にすら強い影響を与えたのは、動法が内観的身体の追求を伴っていたからだと確信している。内観的身体を律し得た時の充足性、或は内観的身体が自ずと整ってくるものとの邂逅こそ、「身体で覚える」「身体で感ずる」ということの実体だったのである。例えば秋に月を見る。眼で見ている訳ではない。見ることで澄みわたっていく内観的身体の観想を通じて、秋の月の佳さを覚えるのである。日本人は、この気体化した身体と共に生活してきた。それは肉と心の狭間にある漠たる空間をもつ身体であった。そして古人はそれを充足させる術を知悉していたのである。

この「内観的身体」の視点は、外国語の習得や文章技法についても検討できるかもしれない。
逆に言うと、概念操作のありようそのものが身体性を破壊していることがある。

動法の型は動きを制する為のものである。客観的身体を止めれば止めるほど内観的身体は鮮明に観え、その変化は勢いを増す。したがって型は内観的身体の活動を誘うために機能するとも言える。

舞の外観は抑制的に見え、しかし、その実、内観的世界は豊かな動きに満ちている。外を止めれば内が動く、内を止めれば外が動く。型はこの外観と内観の順逆を和している。これを私は順逆拮抗と呼び型及び動法の第一の原理としている。

日本の文化は動法・内観・感応を支柱として確立された文化であると私は信じている。相手が礼を正せば、敵であろうと同朋であろうと礼をもってこれに接する。この同調の型を迎え入れと呼ぶ。

日本文化を、「技法的な教え」の観点から吟味できないか。

客を迎える芸術である茶の湯は、本来感応性を追求したものであった。〔…〕面接ではなく、腹接、腰接を追求したのが我々の文化であった。即ち相手と腹を会わせ腰を会わせようとしたのである。そのようにして他者と自己が互いの身体を内観し合う交流を喜びとし、尊び、希ったのである。

集団への継続参加が出来るかどうかは、この「腹接、腰接」を共有できるかどうかにかかっているように思われる。



*1:太字や赤字などの強調は、すべて引用者(当ブログ主)によるもの。