2007-09-01から1ヶ月間の記事一覧

専門性と換骨奪胎

《制度》としてのベタな専門性に対して、メタな(transcendental)目線や、メタを含んだ換骨奪胎的な(transversal)試行錯誤は必要だが、それが特定の専門性に入門できない無能力(無活動)をしか構成しないのでは、どうしようもない。神経症的に孤立したメ…

 論点としての現場  関連メモ

私のブログは、ひきこもりの経験当事者や支援関係者からは「学者ごっこ」と言われ、学者からは「専門性が足らない」と言われることが多いが、真剣に考えようとする人間がそのような葛藤に晒されること自身が、論点としてのひきこもりに内在的な、原理的な問…

雑誌『ビッグイシュー』 第79号 発売中

斎藤環さんと私の往復書簡 「和樹と環のひきこもり社会論」、今号は私で、『《日常》という抑圧と、「診断」』です。 本屋さんでは売っておらず、すべて立ち売りです。 販売場所はこちら。 各販売員は、バックナンバーも大量に取り揃えて立っておられます。 …

「目覚めと眠りのあいだの敷居」

9月15日、「フロイト思想研究会」 第一回大会(プログラム)に、聴衆として参加。 精神分析が一つの「制度」であり、そのことに窒息しつつ、しかしその専門性はやはり必要だ――などと考えていた。 会長講演のあとの冒頭の講演で、「フロイトという父を殺す」…

映画『40歳の童貞男』鑑賞

町山智浩さんの評を見て期待してたんだけど、がっかり。 【以下、ネタバレ注意】

東浩紀+桜坂洋 「キャラクターズ」 読後メモ

『新潮 2007年 10月号 [雑誌]』掲載。 私は、虚構作品をそれ自体として楽しむ習慣がなく、「自分がものを作るためのヒント」が欲しくて読んだ。 読んでよかったし、今後も何度か立ち戻るつもり。 以下は、初読後のメモ。 【以下、ネタバレ注意】 (※映画『マ…

『メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬』を観て

作品を評価するためというよりは、ごく私的な、「映画を観ていて考えたことのメモ」です。 【以下、ネタバレ注意】

「分析の consistency」について

ほとんどの人はこのフレーズを、「独りよがりの思い込みを貫徹する」という、イマジネールな consistency の意味でしか理解できないと思う。(それは単なる「独りよがり」を、英雄性と勘違いすることだ。) 「分析の consistency」というのは三脇康生のフレ…

「観察対象」なのか、語り手が関与者なのか――逸脱としての分析

「社会的ひきこもり」は、医者や学者が第三者的に観察対象にむける呼称だが、「論点ひきこもり」は、関係者や論者が、関与者として組み込まれた表現になる*1。 論じようとする者にとって解消不可能の論点であり、ひきこもっている本人自身は、いわば制度とし…

議論フォーマットの再確認――「不登校中心主義」ではなく

「オールニートニッポン」の番組の一つ、「貴戸理恵の不登校系トークラジオ」への出演が決まったので、その事前メモを記してみます。 番組は9月7日(金)、午後7時〜9時で、私の出演は三部構成のうちの「第二部」とのことです。 不登校を中心化するかぎ…