「分析の consistency」について

ほとんどの人はこのフレーズを、「独りよがりの思い込みを貫徹する」という、イマジネールな consistency の意味でしか理解できないと思う。(それは単なる「独りよがり」を、英雄性と勘違いすることだ。)
「分析の consistency」というのは三脇康生のフレーズだが(参照)、彼はこれを、みずからの依拠する制度をも換骨奪胎する《分析の過激さ》と考えている(あくまで私の理解)。 変化しない分析制度の硬直が consistency なのではなく、「分析の consistency ゆえにみずからが変化できる」(三脇)。
ガタリらの制度論的な分析と、ラカン派的な《分析》とのちがいは、このあたりに焦点をもっているように思う。