決定的なカギとしての《制度》概念

ガタリが死ぬまで勤務した精神科病院「ラボルド」の制度概念は、
すでにある議論の枠内であたらしい知見をつけ足す、というものではなく、仕事のフォーマットそのものを主題にしている。


けっきょくのところ、動きの中にある《制度》概念が伝わらなければ、私のやっていることは難癖つけにしかならない。


やっていること、やってしまったことを分析する当事者的な責任論が、《制度》概念に結びつくこと*1


ジジェクは『大義を忘れるな -革命・テロ・反資本主義-』p.548-9で、

と記している(大意)。 これは、私が80年代から持ち続けた理解と同じだ*2


日本では、センスある思想研究者はみんなドゥルーズに向かい、ガタリは「横断的」でしかない(わけの分からないことを言うオーガナイザーでしかない)から真面目に受け取る価値はない、という位置づけに見える。 逆にガタリに思いつめた人たちは、ジャン・ウリやラボルド病院を「ラカン派」と切り捨てて終わってしまう――この不毛な分断も、ガタリ的文脈にある《制度分析》が理解されていないことによる*3


とはいえ、ラカンドゥルーズを偶像視する文脈から、今度はジャン・ウリガタリを偶像にしても何の意味もない*4。 先日の、ガタリを知らないフランス人臨床家との面会で痛感したが(参照)、知識人をアイドルにする論じかたは不毛すぎる。――私が《当事者》概念に固執し、その文脈で臨床経由の、あくまで臨床的趣旨に踏みとどまる制度概念に出会っているのは、《自分の足元を論じる》ことの必要に基づいている*5


以前の私は、わけも分からずアレルギー的に(虚無感や傷に支配されて)逸脱するだけだったが、今は《制度》概念のおかげで、むしろ境界線での仕事の必要を感じるようになり、だからこそ逸脱しているところがある。 つまり以前に比べて、逸脱の政治性にやや自覚的になった*6


私はすでに「臨床的文脈にある制度概念」にも反論を抱えているが(参照)、まずいったんはこの《制度》概念が理解されなければ、話にならない。




【追記】: 「考えれば考えるほどおかしくなる」

既存の研究や考察は、理解を《永遠の静止画像》にもたらすことばかり考える。 理解の事業が、ある態勢で固定されている。
それを悩む本人も踏襲してしまい、「考える努力がかえって害になる」。――ここで問われるべきは、《考える》努力がいつの間にかはまり込んでしまう態勢であり、考察そのものをやめれば良いのではない(それはただ奴隷的に順応することでしかない)。

「反復される努力のスタイルが元凶の一部となる」という理解は、主体性の生産をめぐる《制度》概念と切っても切れない(参照)。
ここを黙殺して DSM-IV 系カテゴリー談義ばかりをするのは、自分で自分の首を締めながら「苦しい」と言い続けるようなものだ。(社会適応するには優等生になる以外ない、ナルシストの天国みたいな状況では、この肝腎の論点こそが忌避される。)




*1:私が「エスノメソドロジー」にかけた期待も、そういうものだった(参照)。 「人々の方法」という問題意識が、おのれの足元の分析に向かわないかどうか。

*2:1968年生まれの私は、80年代半ば〜90年代前半、現代思想系の日本語を読み解く努力を必死にしていたが、ドゥルーズ=ガタリ(とりわけガタリ)には軽蔑の念しか抱けなかった。 そこで私は、表三郎駿台予備校)経由のマルクス対象Gegenstand》概念と、ジジェク経由のラカン対象a》に取り組んだが、どんどん追い詰められた。 ▼以上はあくまで私的な回顧だが、臨床的に重要なポイントを含むと思う。

*3:私はこのような理解を、ラボルド病院に取材した三脇康生の仕事に負っている。 とはいえ三脇の論考も、いちど通読して理解できるような分かりやすいものにはなっていない。 最初に『精神の管理社会をどう超えるか?―制度論的精神療法の現場から』を読んだ時には、「あたりまえのことをダラダラと書いている」ようにしか見えなかった。

*4:ここで取り上げている《制度》概念は、知識人のアイドル視をやめ、当事者的な分析を開始するためにこそある。

*5:日本の思想や臨床の文脈では、自分の足元を論じる作業には居場所がないように見える。 順応そのものについて考え始めると、制度的に逸脱するしかなくなる…。

*6:それは苦痛緩和に深甚な効果をもつ。