「自分を健康だと思っている人間をどうやって治すことができようか」*1

各人は、自分の当事者性を棚に上げるスタイルの違いで棲み分けている。

松嶋健 : この本を作ること自体が制度分析のプロセスになるように作らないと。制度分析についての本じゃなくて、制度分析としての本というふうになって初めて、この本を作る意味があるんじゃないかというふうに僕は思っていて。 (略)
 自分のことについて語れというのも、(略) どのレベルで自分を出すかというのは、やっぱりいろんなレベルがあると思うんです。それがベタに「自分語り」になると、また楽屋話みたいに理解されてしまう。どのレベルに分析を入れているかというのは人それぞれでいいと思うんですが、いかに客観的にみえるものであっても、そこに自己分析が入っているものがあるし、逆にいかに自分について語っているセルフドキュメンタリーであっても、自己分析がまったく入ってないものがある。セルフドキュメンタリーと客観的なドキュメンタリーという線じゃなくて、分析が入っているドキュメンタリーと、そうでないものというふうに分けないと。*1



“異常者” に関わることで職業的利益を得ている医師/学者/ジャーナリストは、
この問題にくり返し立ち帰ってほしい。
ご自分がメタに確保した正当性は、そんなに盤石なものですか。
自分を正しさに監禁することは、人が長期に引きこもるメカニズムそのものとなっている*2



*1:医療環境を変える―「制度を使った精神療法」の実践と思想』p.231、強調は引用者

*2:固定された弱者ポジションに居直るだけの人は、制度化された現実逃避に周囲を監禁している。いわば官僚当事者