制度化された現実逃避

学問はディシプリンの前提を自明視して語るゆえに、あまりに当事者的すぎる(メタ性がなさすぎる)。 また《当事者の告白》は、「なぜ自分が語ることを許されているか」を自明視するので、あまりに学者的すぎる(語りのはめ込まれたメタな構造に頼りすぎる)。
私はこの話を死ぬまでせざるを得ない。
せずにいられないよう追い込まれているし、結果として、激しく内発的になっている。
(こんな思索のメカニズムがあり得るなんて、子供のころには思いもよらなかった)