怠惰というより、委縮してる

ここ最近、霧が晴れるようにいろんな事が見えてきて、とにかく腹が立ちまくってる。

逆にいうと、ひきこもるしかできない状態はガチガチに委縮してて、本人はそれしか知らないから「意識ってこういうもんだ」と思ってる。 でも風通しが出てくると、「・・・・あれ・・・?・・・・」

なんていうか、何によってか分からないけど*1監禁されてて、他のやり方を知らない。 わかってくると、本当に「霧が晴れる」。

私が意識の硬直にくり返しこだわるのは、そのリアリティがあんまり強烈だから。 ありていに言って、アタマ悪くなってるんですよ、これは。 日本中でそういう人*2が数十万人いて、同じように委縮してる人は数百万人いるんじゃないか*3。 だったらその人たちに風通しができるだけで、いろんなことが変わるんじゃないか。


私たちの意識装置は、この時代の再生産パターンをやってしまう。その委縮は集団的に維持されているから、一人だけ変化すると排除されかねない・・・・・本当に大事な話より、委縮を延命させてでも「彼らに都合のいい話」をせざるを得なくなる。 そこでどうするか。



*1:構造的排除やセクシャル・マイノリティへの差別、いじめなど、重要な諸要因はありつつも、そこを「わかりやすく」語りすぎないことが重要に思う。わかりやすい問題理解は、今度はその理解自身が制度疲労を起こし始める。

*2:ひきこもるしかなくなった人

*3:同時代に生きるひとは、まずは同じ委縮傾向に巻き込まれる。 現代思想っぽい用語で「主観性の生産」とか言ってるのは、このあたりで、切れば血の出るような話です。