自分を棚上げにした引きこもり論ばかり

つながりの作り方は、既存社会では触れてはいけない水面下の事情になっている。ひきこもりの本当の焦点はこの抑圧された部分にあるため、ひきこもりをほとんどまともに論じられない。

「ひきこもり当事者」を別格化する議論はすべて間違っている。 彼らも、あなたと同じような努力パターンにはまり込んでいる。 そのパターンを主題化することが、最も重要なサポートになり得るが、ご自分の当事者性で考えてください、という私の要求こそが怖がられている

当事者性といっても、「あなたもひきこもり系」という意味ではない*1。 努力をどう反復し、どういう関係スタイルを要求しているか。 あなたが前提している正当化パターンが、どういう抑圧を分節プロセスにかけているか。


自分が巻き込まれる(相手を巻き込む)努力パターンを論じるべきであって、「社会は間違っているが自分は正しい」みたいなイデオロギーを反復しても、硬直した正当化に引きこもっただけ。 本当の焦点は、自己の素材化の拒絶であり、分析の拒絶にある。
あなたが自分を正当化するプロセスは、苦痛を悪化させている――ひきこもる本人を含むあらゆる人が、この論点を拒絶している*2。 被害者意識を誇示するだけの「ひきこもり当事者」も、自分を棚上げにした引きこもり論しかしていない。

    • 努力がいつの間にかはまり込んでいる力み(りきみ)のパターンがある。 パターンを硬直させたままだから、傲慢さと卑下の往復しか生きられない。
    • 男根競争(というナルシシズムのパターン)に同調しなければ、生きることすらままならない。 「君も、同じ競争に参加してるよね?」
    • 各人は、自分の意識せざる正当化パターンを意味も分からず反復するだけ。 正当化のはまり込む努力が、問題構造を反復することに気づかない。 だから努力そのものを(結果物ではなくそのプロセス・パターンを)変えなければ。


【追記】: 男性社会の組み替えは、「男に当事者発言させること」にある。

女だけを《当事者化=特別扱い》することは、表面的アリバイに頼る男社会を強化することでしかない。 実際は女性を傷つけている男性フェミニストが、「俺は女の味方だから、逆らえば女を差別したのと同じ」と周囲を脅迫し、セックスの人数自慢でプライドを誇示する実態に、女性も早く気付くべき。
現状では、「男社会の作法で女を守ろうとしている」にすぎない。 単に女を守ればいいのではなくて、関係作法そのものを変えねばならない。 アリバイで支配する「男性的」社会性ではなく、関係実態を検証する作法が要る*3。 「俺は女を守ってるからな」のチンコ自慢とは別の社会性が。



*1:「努力パターンが硬直している」という意味でなら、《ひきこもり系》をいう意義は残る。 既存の議論では、「孤独が好き」とかいう意味でしかない。

*2:左翼的正当化も、学問的体裁をとったメタ言説も、奴隷的正当化の誘惑にすぎない。

*3:それを「女性的」という必要はない。 むしろマイノリティ的な関係作法といえる(マイノリティだからこの作法を採るということではなく)。 カテゴリーではなく、関係作法のレベルにマイノリティ性がある。