斎藤環の「病因論的ドライブ」、宮台真司の「おまえ何様だ問題」などは*1

言葉だけを取り上げると正しく見えるが、

概念そのものが、自意識誇示の生産スタイルを体現している。

彼らの提出する概念を理解するだけで、自閉的生産過程のルーチンに巻き込まれてしまう。

提出された概念には、生産過程のスタイルが結実している。 理解することで、読者の側に生産者のスタイルが再現される。

そこに気づかないと、「勉強すればするほどおかしくなる」。

気付いたうえで、その限定的な役割を使うべき。




*1:東浩紀の「動物的」や、DSM系カテゴリーも同じこと。 概念には、正しいかどうかという一元的評価のほかに、その概念が読者に反復してしまう生産過程という注意点がある。