対象化=対象剥離
- 作者: マルクス,城塚登,田中吉六
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1964/03/16
- メディア: 文庫
- 購入: 3人 クリック: 15回
- この商品を含むブログ (49件) を見る
ヘーゲルの『現象学』とその最終的成果とにおいて――運動し産出する原理としての否定性の弁証法において――偉大なるものは、なんといっても、ヘーゲルが人間の自己産出をひとつの過程としてとらえ、対象化〔Vergegenständlichung〕を対象剥離〔Entgegenständlichung〕※として、外化として、およびこの外化の止揚としてとらえているということ、こうして彼が労働の本質をとらえ、対象的な人間を、現実的であるゆえに真なる人間を、人間自身の労働の成果として概念的に把握しているということである。
Das Große an der Hegelschen Phänomenologie und ihrem Endresultate – der Dialektik der Negativität als dem bewegenden und erzeugenden Prinzip – ist also einmal, daß Hegel die Selbsterzeugung des Menschen als einen Prozeß faßt, die Vergegenständlichung als Entgegenständlichung, als Entäußerung und als Aufhebung dieser Entäußerung; daß er also das Wesen der Arbeit faßt und den gegenständlichen Menschen, wahren, weil wirklichen Menschen, als Resultat seiner eignen Arbeit begreift. (Karl Marx, "Ökonomisch-philosophische Manuskripte")
※印の箇所に対する、訳者解説(同書p.288):
この言葉は、Ent-gegenständlichung という二部分からなるといえるが、ent は普通には対向・反対・否定・分離・生成・ある状態への移動・変質などを意味する分綴である。 Gegenständlichung は「対象」Gegenstand とすることという意味であるから、ent の解し方によって、Entgegenständlichung は対象でなくすること、分離して対象とすること、対象を対立するものとして置くこと、等々の意味にとれることになる。 英訳を参照すると、M・ミリガンもT・B・ボットモアも loss of the object と訳しており、対象の喪失と解している。 本訳書87ページの〔疎外された労働〕のところでは、労働の「対象化」が労働者の「対象の喪失および対象への隷属」 Verlust unt Knechtschaft des Gegenstandes として現われるとマルクスは述べている。 したがって、「対象喪失」と訳すことも考えられるが、これはあくまでも人間(労働者)または主体(ヘーゲルにあっては精神・意識)にとっての「対象喪失」であって、対象そのものがなくなるわけではない。 それは対象が主体から独立し離脱すること、対象を主体から剥離すること、を意味するのである。 他方、この Vergegenständlichung と Entgegenständlichung との対応は、「現実化」 Verwirklichung と「現実性剥奪」 Entwirklichung との対応と一種の類比関係にあるから、その訳語の上での連関を考えて、Entgegenständlichung を「対象剥離」と訳することにした。
『経済学・哲学草稿(Ökonomisch-philosophische Manuskripte)』は、1932年に初めて公刊されている*1。 志向性を問題にしたフッサール(1938年没)やハイデガー(1976年没)は、マルクスのこの個所に注目していないんだろうか。 あるいは、その後の「現象学的精神病理学者」たちは。
同じ箇所の、新訳版
- 作者: マルクス,長谷川宏
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2010/06/10
- メディア: 文庫
- 購入: 2人 クリック: 47回
- この商品を含むブログ (25件) を見る
ヘーゲルの『精神現象学』とその最終結果と、さらには、ものを動かし生み出す否定的原理としての弁証法に見てとれる偉大な点は、ヘーゲルが人間の自己生産を一つの過程としてとらえたこと、対象化の働きを対象から離反する外化の過程として、さらには、この外化の克服としてとらえたことにある。つまり、かれは労働の本質をとらえたのであり、対象的な人間を――現実的であるがゆえに真なる人間を――当人自身の労働の結果として概念的にとらえたのだ。 (p.178)