三脇康生 「「表現を持続させる環境に身を曝す」とはいかなることなのか」(PDF、2ページ目)

 本当は、自分の表現を見直し、展開するべき方向性を自分と話し合い、考え直す空間と時間と言葉を自分に用意することが必須なのである。それでもって、表現を持続させざるをえないような方向へ、自分をさらし続ける身振りが重要である。

ここだけ見ていると、まるで「生活に付け加えて、そのうえで作品を創る」というふうに見える。
批評家にそんなことを言われるまでもなく、すでに生活に「晒されている」。 表現を持続させるために晒すというのでは、表現自体を自己目的化する最悪のナルシシズムであり、それこそ “現代美術” がくだらなく見える理由ではないか。
しかしここで問題になっている「表現」は、むしろ「生きること」そのものと一つになっている。

 狙いはあくまでも単純である。各作家には制作の何を問題化し、何を解決したのか明らかにしてもらう。さらにその結果が、今後、各作家の表現行為を支える足場になる、あるいは新たな足場にとって代わられることが、この企画の意義となるだろう。この意味では、この企画は、各々の作家にとって「中仕切り」となる活動を目指している。しかし作家活動の時間軸で見た「中間」で行う反省会ではあるまい、それには彼等は若すぎる。とすれば空間的な「中」だろうか。とすれば、何の「中」だろうか。ここでは、ひとり一人の表現行為の「中」と言っておく。各々の「中」が各々により仕切られる。むしろ逆に、仕切られることで、「中」が生じるのである。

取り組みの単なる惰性の中に、分析の場所(中仕切り)が制作的に維持されること。 生きてあることがルーチンワークになることへの、分析による抵抗。 ディシプリンや労働環境への「単なる順応」では、使い捨てにされ、投げやりになってゆく。
「順応している」を嗜癖的な言い訳にしないこと。 かといって、単なるワガママや教条的な反抗では、それ自体が不当な惰性でしかない*1。 ここでは、我慢強く分析を維持することが提唱されている。

 しかし表現者の調子は突如として狂う。そういうリスクを背負ってしか表現はなし得ない。調子が狂った時、その時、言葉は、作家の内面へと入り込みセラピーするべきであると私は言おうとしているのではない。美術を巡る言葉の様態が、現在目の前において作られる作品への単なるキャッチコピーではなく、表現活動の環境因子の一つと成れたならば、作家達が何かを見直そうとするプロセスに寄与できる。今や、そのような環境因子になるような言葉が用意されるべきなのだ。その際、当然、日本の美術批評言語の歴史分析が必須の作業となろう。しかし、二つほどの、歴史分析と言いながら自分のサークルへの我田引水的な分析しか今のところ日本には存在していない。また歴史分析のそのうえさらに、美術を巡る言語環境の改善運動が持続される必要がある。私の行うべきはこの二つである。

これはひきこもりに取り組むこと、それを論じることに直接当てはまる。 各人の取り組みを、「制作」のプロセスと見ること。 それをめぐる言葉の様態が、環境因子の一つとなること。 ダメな言葉の環境は、取り組みをダメにしてしまう。
「ひきこもりを巡る言語環境の改善運動」が、「自分のサークルへの我田引水的な分析」*2でしかないなら、それは論じている本人がみずからを論点化できていない。 「批評言語の歴史分析が必須の作業」となる。

 私が教えている大学2年生のゼミでは自作のプレゼンテーションを要求すると、「言葉で言えないものを私は表現しているのですから、そんなことは興味ない」と答えるものがいる。逆に院生になると、言葉で言い切らないと作品に売りが出ないと焦るものもいる。もちろん人によれば、2つの間を行ったり来たりすることもある。この2つの態度の間で引き裂かれるのではなく、この躁状態とこのうつ状態(もちろん躁とうつの入れ換えは頻繁に起こる)の「あいだ」にこそ本来切り開かれるべき場所がある。それを切り開く活動を、それこそ仕切って「中」を作り出す活動を持続していかねばならない。

これは、ひきこもりからの脱出がうまくいくケースとそうでないケースの話にそのまま当てはまる。 まったく “感性” で乗り切ろうとすることと、理詰めで「説明しよう」とすることと。 生活への取り組みは、その両者の「あいだ」を作り出す活動でのみ維持される。 目に見えない分析労働の場所のみが、活動を維持させる。 プロセスに生じる疎外を、されるがままに放置しないこと。


三脇康生においては、精神科医であることと、美術批評家であることは、単にバラバラに「二足のわらじ」であるのではない。内在的にひとつの活動であり、ここで三脇が「作家」について語っていることは、そのまま「精神科医」である三脇自身や、支援従事者全般、また「支援される側」についても言える*3。 各人の取り組む批評なしには臨床は成り立たず、臨床性なしに批評を語ることもできない。
三脇においては、「出会って仲良くする」という意味での「横断性」*4ではなく、関係者の各々がみずからの場所を分析する、その「分析同士の出会い」こそが問題になっている*5。 理論と臨床とを切り分けるのではなく、理論自身を現場として考える分析と、臨床自身がみずからを現場として考える分析*6とが出会うこと。 理論は往々にしてみずからのメタ言説の場所(大学や学会)を分析しないし、現場は現場であることでみずからの制度を分析しない。 お互いに、ただベタに自らのルーチンを(信仰のように)こなしてしまう。 これでは “交流” があっても、和合のナルシシズムがあるだけで、分析同士の出会いがない*7



*1:不当な惰性は、それ自体が教条的であり、順応主義だ。 ▼何が惰性で何が分析なのかは、そのつど判断するしかない。

*2:特定の学問フィールドや政治イデオロギーの自己宣伝

*3:たとえば三脇にあっては、彼自身の分析の共有者や媒介者は、制度上は相手が「患者」であっても、むしろ三脇自身が患者となる。 これは、ふんぞり返った精神科医が「僕こそが患者だけどねぇ」などと笑う尊大な謙遜とは何の関係もない。 分析が遂行されることの臨床的な意義であり、「制度を使った精神療法(psychothérapie institutionnelle)」のプロセスが賭けられている。

*4:ガタリ紹介の文脈で、「transversalité(トランスヴェリサリテ)」の訳語として「横断性」が繰り返し話題になるが、三脇はこの「transversalité」の解釈を重視している。 【参照】:雑誌『思想』2007年6月号 三脇康生精神科医ジャン・ウリの仕事――制度分析とは何か」 pp.53-7

*5:本人自身が繰り返しそう述べている。

*6:それらは各々、「制度分析(analyse institutionnelle)」と呼ばれる。

*7:80年代から90年代にかけて喧伝されたドゥルーズ=ガタリは、私にとってそういうものでしかなかった。 ただベタに肩を組む、教条主義的左翼のナルシシズム