「ニューラル・マーケティング」と自由意志 【第1回】より

下條信輔: ぼくらの大学院を志望する大学院生のうち、8割がニューラル・マーケティングをやりたいと言ってきています。数年前は8割くらいがブレイン・マシン・インターフェース(脳と機械を結ぶインタフェース)をやりたいと言っていたんですけどね。ニューラル・マーケティングのねらいを一言でいうと「消費行動の脳メカニズムを解明すると同時に、それをどうやってセールスに反映させるのか」ということです。
 これと密接につながったもうひとつのホットなトレンドとして、ニューロエコノミクス(神経経済学)というアプローチもあります。これは脳科学を販売戦略や製品開発に活かすニューロ・マーケティング手法のさらに前提として、意志決定の際の脳の信号を計測することで、経済学の伝統的な諸理論を証明したり、逆に反証したりしようという発想です。



■【参照:「環境知能シンポジウムの記事」(東浩紀)】

下條氏は『<意識>とは何だろうか』のp.209以下で、「人間が自由を感じるのは何も考えていないとき、すなわち環境のいいように操作されているときだ」という、ある意味でたいへん逆説的な意見を述べています。



「環境」という言い方には、単に環境世界というだけでなく、個人が巻き込まれる《制度》があり、それには具体的な人間関係も含まれる。 「教師と学生」 「医師と患者」 「親子」 「雇用主と従業員」など、さまざまな役職上の関係を含む人間関係には、一人ひとりが直面する力関係のマネジメントがあり、そこからのズレや逸脱が問題になり得る。
動物化を支える「環境管理」だけではない話があり得るとしたら、制度からの「やむにやまれぬ逸脱」と、その制度そのものへの換骨奪胎的取り組みではないだろうか。▼むしろここでは《人間》は、制度や環境からの逸脱やズレ、あるいは「制度そのものへの取り組み」として描き得るかもしれない。