「もともと自由ではまったくなかった」 【第3回】 【最終回】より

東浩紀: そもそも、人間は工学的にコントロール可能な一種の動物にすぎない。その制御可能性は、人間の生物学的な条件そのものに根ざしているので、本人がそれを自覚可能かどうかはまったく関係ないと思うんです。 (略)
 しかし、選挙の話はそれに加えてもうひとつの次元を備えている。というのも、繰り返しになりますが、それは、私たちの社会の「建前」の根幹に関わるからです。

下條信輔: 自由があるのかないのか、それは人間一般にとってどれくらい重要なものなのか、その結論は、そういう無数の制約条件のヒエラルキーの中で、自由の観念がいったいどれぐらいの普遍性を持っているかということで決まると思っています。そして、その過程では、「自由」という近代以降に成立した概念がなくなってしまうことがありうるし、またそれならばなくなってしまってもいいとさえ思ってるんです。もちろんそれは、われわれの考える自由が客観的現実とはかけ離れていることがわかり、その上社会の制度を維持する幻想としてさえ役立たなくなったなら、という前提ですが。
東浩紀: 自由がなくなってしまう未来、といっても、監視社会とか管理国家とかいうかたちで自由がなくなるのではなくて、ぼくたちみなが、自分たちはもともと自由ではまったくなかったということに気がついてしまう未来、ということですね。



「自由がない」ということの本当の問題は、「好き勝手できない」ではなくて、
「自分で着手する手続きが見えない」だと思う。