「自分より若い世代の二人の作家の近作について」(三脇康生)

 小柳は、さみしい風景の中で耐える自分(の気持ち)を描くのではなく、さみしさは彼にとって描くための初期条件であったのではなかったのか。むしろ描くことには「さみしい」という気持ちを超えてしまう要素、そのような人間的な感情を超えてしまう要素があることを把握していたのではないか。

感傷的なものを感傷的なままに描くのは、徹底的にダメだと感じる。
非人間的」というのが、最近の私の評価基準になりつつある。