「無縁死でいいじゃないか」
hizzz 独り死で何が悪い! 有無を言わさない縁無縁での叙情共同体強調は、ひいては靖国的な国家包摂を要請することにも繋がることになりかねない方向へ。
生前の引きこもり問題が、
に分かれるように、《死ぬこと》についても、この2つが分かれます。
価値観としては、「放っておいてもらう権利」は、ものすごく重要だと思うのです*2。 しかし、無縁死の状態は、「望んでそれを手に入れた」のか、「やむなくそうなった」のか*3。 独りで死んで、弔ってもらえないということは、生前にも「SOSを出せない状態」です。
ひとりでいることは、「さみしい」とかの価値観レベルで論じられがちですが、本当の問題は、それが圧倒的に弱い立場であるということです。 無縁死という言葉に潜む「孤独なのは悪いこと」という価値観をやめて「ひとり死」と言い換えても*4、《孤独な人間は社会的に弱い立場を強いられる》ことは、放置できない。(いじめや排除に抗議することすらできない)
ありていに言って、独りきりの人間が弱者性や不便さを感じずに生きていけるためには、ものすごく充実した社会的インフラが必要です。 その拡充を言わずに、価値観レベルだけで「独り死でいいじゃないか」を言うのは、弱い立場に放置されることを黙認するだけになりがちです。