自分の当事者性を捨象する男性フェミニスト

属性レベルで支援の構図が決定される状況では、男性社会の序列はそのまま温存される。
男性フェミニストの多くは、「女を守る」と宣言して男性ヒーローを演じ、他のオスを威圧する。――これは実は、「強い男が女を独占して権勢をふるう」という男性優位思想を、「女に優しい男」がヘゲモニーを取って演じているだけだ。
私に向かって「セックスした女の数」を自慢したある男性フェミニストは、「俺は女の権利を代表しているから、俺を怒らせることは女を差別することだ」と言い放った。実はこの男は女を傷つけた過去があるようだが、そうした「男としての当事者性」は、女の味方をすることで免責されたことになっている。
「相手の女性を数に還元して自慢できる」という、この考え方の構図自体を変えるためには、こうした強者男性こそが《当事者発言》すべきなのだ。そして、「女の数を自慢できる、そうすることで弱者男性を威圧できる」という力関係の制度自体を、変えなければならない。それができなければ、いくらフェミニストを演じようとも、強固なマッチョ主義を演じ続けることでしかない。▼弱者男性だけに語らせようとする「当事者語り」は、考え方の制度を変えない。むしろ、既存の考え方の制度を強化してしまう(キリスト教の「懺悔」のように)。