欲望の制度

欲望のあり方が、制度や「多数派」に決められてしまう。労働や力関係に巻き込まれることは、欲望の制度に順応すること*1。正しく欲望しなければ逸脱する。(運動には運動の欲望の制度がある。)
ただし、そのような環境を不愉快に思っている自分自身が、つねにすでに一定の欲望の制度を生きている(すべての制度的欲望から逸脱するという仕方であっても)。完全にひきこもっていても、その強固な状態を成り立たせる実存の制度を生きている。自らの実存の制度が動かないことで、自分と家族を苦しめる。
実存の制度を動かすことができず、周囲の欲望の制度に合流することもできない。
社会参加に成功している者は、自分の実存の制度が、外側の制度のなかで居場所を持ち得た。だから、理不尽であってもその外側の制度を必要とする。▼環境から逸脱したスタイルで欲望制度が固定してしまった者は、そのままでは生きていられない。なんらかのかたちで合流を整備しないと、逸脱だけでは死ぬしかない。





*1:肩書きや病名を得ることで、欲望のプロトタイプと比較される。 「医者」「物理学者」「ひきこもり」「アルコール依存」etc.