支援される側か、支援する側か

自分ひとりの当事者性(=不自由)を減じようとするだけなら、単に「支援される側」。卒業できるなら卒業したほうがいい。しかし、個人の努力ではどうにもならない不自由は身に負い続けることになる。
自他の不自由を減じようとするなら、運動の共有がある。ただし、中間集団全体主義に注意。
一方的に他者の不自由を減じようとするところには、支援対象の差別的特権化と、「支援している自分」への硬直的ナルシシズムが忍び込みがち。(支援される側としても、その支援者のナルシシズムに乗っかる形で、自分の存在を差別的に特権化する自我肥大があり得る。)